わかうみたろう

クヒオ大佐のわかうみたろうのネタバレレビュー・内容・結末

クヒオ大佐(2009年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 物語の展開は綱渡りみたいで面白く、クヒオ大佐の浅はかな感じと、バレてるのに演技をし続けるキャラクターには引きつけられた。気になったのは、ラストの和室のシーンでご飯を食べているシーン。クヒオ大佐は身分を嘘ついてるのがバレた後に、自分の過去についても更に嘘をつく。その過去の話を嘘だと表現するのに、過去の虐待されていた影像に合わせて、反対の輝かしいような嘘の記憶をクヒオ大佐は語る。ここでは幼少期の記憶はクヒオ大佐が本当のことを言ってるのかも?と思わせる方が面白かったのではないか。子供の頃の傷が何かしらあるのはレストランのシーンでは既にわかっていることであり、それを再度描写する必要は、毒親という言葉が一般化した2024年の今みると、ないと考える。

 全体的に女性がクヒオ大佐に騙される感情を説明してはいて流れとして理解はできるのだが、そりゃ騙されるよな、と感じる機会はなかった。クヒオ大佐自体はヤバい人だけどあったら面白そうだなと思う一方で嘘だと分かるだろ、とも思った。状況として騙されてしまうことはわかり、騙された側の辛さも感じ取れたが、見ていて私は一度も騙されなかった。一度見ていてクヒオ大佐の言っていることは本当かも?と騙されなければ、クヒオ大佐に騙される人たちの心情には近づけないのではないか。演じきって騙すことができるのが逆説的だがクヒオ大佐の一番の魅力で、それを感じてみたかった。危険と隣り合わせの魅力をもっと肯定的に思えてしまうような表現はできなかったのか。これは男だからそう思うのだろうか?それとも、日本とアメリカという物語の箱に登場人物たちが入っていることがそう思わせたのか?

 幼少期の記憶はだれもわからない。クヒオ大佐が実際にアメリカ人だと分からないことと同じように、過去の自分が見たことのない昔のクヒオ大佐をクヒオ大佐自身が話している。心中前の最後の言葉で本当に嘘をつくかどうかわからないで過去の話を聞いて見たかった。偽物の銃で打とうとして、騙してた女に騙され毒キノコハンバーグを食わされてたと言われ、自身の演技から離れ現実に戻される流れは面白かった。

 全体的に笑えたが、演技してしか生きてけないなら、演技するのが好きとはっきり言ってしまうか、演技しなければ生きてけないことに自覚していない方がよい。詐欺師の心情がわかるのは勉強になったものの、虐待を受けていたから他人を自分の都合よく扱ってしまうのだと分かって欲しいという感情が、ラストの食事中の回想から感じてしまい、そこにはのれなかった。気持ちはわかるけど、良くないよね、と客観的になってしまった。