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カルメン故郷に帰るのotomisanのレビュー・感想・評価

カルメン故郷に帰る(1951年製作の映画)
4.1
 何しろ戦後6年目だから。建前上、民主で自由で女性も解放でと称揚されるものの、昔から嗜み徳目とされた事はやすやすとは揺るがないし、みんなの心もそんな簡単に開かれるもんじゃない。そんな事は街場でも田舎でも大差あるわけでない。だからストリップ紛いの芸術ダンスが白眼視されたり面白半分、よからぬ妄想の肥やし、儲けのネタになるのも避けられない。
 そんな事を知ってか知らずか、たまの休みで帰郷したおキンちゃんが友だちと一緒に里を引っ掻き回したり逆にコケにされたりのメイワク譚が、迎える里の面々とはすれ違いっ放しのくせに、なぜか双方納得ずくな感じに収まって終わるので面白い。
 むかし牛に蹴っ飛ばされてから幾分どうかしてしまったらしいおキンちゃんだが都会でカルメンに成長して戻って来るときの、本人曰く、故郷に錦を飾る凱旋なりと、かく承知してる辺りが既にオカシイ。この調子っぱずれが在京数年、意気軒昂を保ち続けというより芸術開眼から挺身にまで心境が深まってしまう辺りの謎的経緯に想像を致すと、当時の東京のただならぬ躍進を、ついつい思ってしまう「星の流れに」とか「私は街の子」みたいな歌謡が映す都会の悲惨とは真逆な相の発生あるを示唆しているようで、それもまた面白い?こんな人が先々どうなってしまうやら。
 しかし、笑ってばかりではない。どんな幸か不幸か、使命を信じてやまないおキンちゃんらとすれ違う親の怒りと嘆きが、やがて、バカな子ほどかわいいのか醜業と思いながらもおキンちゃんの信じて止まない心根の一途に打たれるのか、顔も合わさぬながら受け取った「ハダカ芸術」ショーのあがりの金一封を浄財たれよと校長に託して、名のみ同じな「芸術」の新しい芽生えに生かしてくれと手渡すあたり、子への思いがいじらしい。まあこの展開自体はおキンちゃんにとっての擦れ違い納めなんだが。
 こんな休暇の終わりの日、里の野郎どもの半ば馬鹿にしつつ、また来りゃ大歓迎という見送りに、所詮この世は男と女、思うところは真逆だが知らぬが仏と思い切れば三方一両得な感じのお調子者ムービーの落着として、めでたしめでたし。


 めでたいにはもうひと方、軽井沢、浅間、草軽線が挙げられよう。もちろん軽井沢の名声あってのロケだろうが、上流人士では話にならない本作は草軽線で進んだ先の舞台でなければならない。
 しめて数分にもならない草軽線の映像だがカラーの映画によくぞ収まった。この幸運を、我が出生のとたんに潰えた草軽と死に目にも会えぬ我が不幸とを雪ぐものとよろこびたい。
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