岐阜の首都

カルメン故郷に帰るの岐阜の首都のネタバレレビュー・内容・結末

カルメン故郷に帰る(1951年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

軽快でいて楽しくて少し哀しい、幕の内弁当みたいな映画。

ポイントは3つ。
●画面がキレイ(というか、意図的にキレイに撮ろうとしてる努力が窺える)。
・あとで調べると、なるほど「国産初の総天然色映画」だそうだ。そりゃ全編軽井沢で撮りたくもなります。

●安易な言い方だけど、「都会と農村」の対比。
・素っ頓狂な都会のストリッパー、リリィ・カルメン(高峰秀子)とマヤ朱美(小林トシ子)たちが盲信する自称”芸術“と、カルメンの幼なじみでずっと農村で暮らしてきた春雄の弾く物悲しいオルガンの調べ。
この映画では、つましくも誠実な農村の芸術を、軽薄でエロくてナンセンスな都会のゲージュツがぶっ壊していくストーリーラインになっている。

・春雄と妻・光子の

「きんちゃん(おきん=カルメン)、昔からあまり利口なほうじゃなかったから、なんでもできるさ」
「だってあなたに目をつけたんですもの、そうでもないわ」

「目あきには目に毒ってことがあるから、難しいよ」
「毒なもの(=ストリップ)ほど見たいのね」

この一連の瀟洒な会話は見どころ。

●ストーリーのキモ、ムラの一大ストリップ興行前日
・シーンのつくりというか、巧みな画面構成に注目したい。ストリップの稽古の音は鳴ってる、音は鳴ってるのに……見せない! そしてストーリー上大切な一本の木が出てきて、いよいよ何か起きると思ったらまだ見せない……お父ちゃんの涙の告白で一連のシークエンスが終わって、結局カルメンも朱美も映さない。
↑「焦らして見せない」、もはやこのシークエンスの構成こそがストリップ的、と言えないだろうか?(ストリップは最後ちゃんと見せるけど)


陽気な音楽で流れるように物語が展開するので、見飽きない映画だと思います。
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