Carpe diem
キーティング先生好きだなぁ。
トッド
「真実は、足がはみ出る毛布のようだ。
必死で引っ張っても足りない。
体を覆ってくれない。
生まれた瞬間から死ぬまで、嘆き 泣き 叫ぶ
我々の顔しか隠せない。」
“ホイットマンの詩にある雄叫びとは、なんなのか。それをキーティング先生はトッドに実演してもらった。トッドの深い部分にある野生的な自分を思い出してもらうために。
その深い部分のトッドから出た詩が上記の詩。”
という解釈をした。
この詩を聞いて、トッドの抱く真実がどんなものなのか伝わってきた。
自分が好きな詩がどういうものなのか少しわかった気がした。
キーティング先生
「3人独自の歩き方がある。
一目でわかる。
順応性の話をしたいのだ。
自分の信念を貫き通すのは難しい。
誰しも人とは違う歩き方をしたいと思う。
なのに、なぜ手拍子をした。
人と同化したいのだ。
だが自分に自信を持たねば。
他人から非難されようとも。
フロストの言葉で、
“森の分かれ道で、人の通らぬ道を選ぼう
全てが変わる”
君らの歩き方を見つけろ。
自分だけの歩み 自分だけの方角を。
立派でも愚かでも構わん。
流れに逆らえ。」
“歩き方に人それぞれの個性が意識せずとも出てくるように、体は個性を表現しようとする。
しかし、それを一つに同化させようともする。
それはなぜだろう。
流れに合わせるのは簡単で、楽だからなのかもしれない。
けれど、それでいいのか。
自分だけの歩みを自分の好きな方へ進めた方がいいのではないか。”
という事を伝えるための授業だと解釈した。
流れに逆らえなくなっている人にとても響く授業だと思った。僕の中で響く自己を認識できた。
ここでいう流れに逆らうとは、一般的に正解と言われる選択(合理的な選択)に惑わされず自分がやりたい事をやろうの意であるが、これはあくまで心構えであるのではないかとも思う。
蛇足ではあるが、手拍子による一体感は、心地よいという認識もあるので、上記の解釈は少し短絡的な気もする。
ラストの生徒達が机の上に立つシーンに涙した。
生徒全員が立たないところもいくつかの意味を持ちそうだなぁとぼんやり思った。