R41

手紙のR41のレビュー・感想・評価

手紙(2006年製作の映画)
4.7
2006年に映画化された作品だが、原作は2001年からある。
面白いのは手紙であり電話ではない点、そしてこの頃はもうほとんどの大人が持っていた携帯電話は一切登場しない。
携帯電話の普及によって時代の変化が目に映るようなこの頃、あえて手紙というものを題材にした東野圭吾さんの思惑を感じてしまう。
原作は読んでいるが、内容はほとんど忘れてしまっていた。
特に映像の雰囲気と小説の雰囲気は読者によって幅があるだろう。
冒頭から兄弟の手紙のやり取りがある。
手紙やハガキでしか通信手段のない場所があることを知った。
当たり前のようだが、実際にそれを感じるのは辛いことだろう。
事件は兄の回想によるものでしかないし、判決は情状酌量の余地がなかったようだが、これもごく一般的だと思う。
いまこの作品をリメイクする場合、事件そのものの描写は描かないように思う。
あのシーンで、兄剛志のやむにやまれない事情と混乱した状況下での出来事だったことを視聴者に植え付けているが、この作品にはそんなものは本来不要のような気もした。
焦点は遺族の赦しと弟の赦しにあった。
それをつないでくれたのが、似たような境遇を体験してきたユミコの「手紙」だったのだろう。
彼女は弟の直貴に成りすまして剛志に手紙を書き続け、またケーズデンキ会長に手紙を書いた。
さて、
同じ手紙という言葉
手紙に対するイメージと冒頭からの手紙のやり取り。
その手紙が元で差出人が何者かわかってしまうこと。
その手紙によって弟には非がないと思っていても、世間から「犯罪者の家族も犯罪者だ」と追及されてしまうこと。
そして、
他人に成りすました偽の手紙によって、兄は余計な心配などしなくなったこと。
本人ではなく第三者が直貴という人間の素晴らしさを手紙に書いてくれたこと。
最後は、
毎月欠かさず遺族に当てて書いた手紙。
剛志がしたことは取り返しようのないことで、その怒りと悲しみを持ち続けることができるが、終わらせることもできると悟った遺族。
「もう、終わりにしよう」
おそらく東野さんは殺人事件の犯人と被害者遺族との手紙を調査し、このような事件での赦しが一体どのような過程で、そして最終的な判断の根源を知ったのだろう。
直貴は、兄からの手紙そのものが犯罪だと考えた。
被害者はもちろん直貴だ。
あの手紙に書かれていある住所が人々の憶測、そして興味をそそり、レッテルを貼られる。
それだけではなく、住む場所、仕事まで奪われてきた。
それは同じように彼女も奪った。
さて、、
直貴に近づいたユミコ
彼女は自分と似た境遇の直貴を嗅ぎ分けたのだろうか?
彼女の積極的な態度は、まるで新参者加賀恭一郎にまとわりつく看護師のようだ。
作家は似たキャラを使用することが多いが、おそらくこの二人は同じだろう。
そう思ってしまえば、ユミコという人物を変な目で見なくて済む。
直貴は最初からユミコに興味を示さなかったのは何故だろう?
それは人生のタイミングなのだろうか?
夢のまた夢だったお笑い芸人になること。
しがない工場勤務とその食堂で働く娘。
まさに同じ境遇だが、直貴にとってその境遇ほどつまらない現実を感じさせるものは無かったのだろう。
その場にいたいとは全く思えなかったのだ。
逆にユミコは辛い幼少期を乗り越えてようやく自立し始めた場所が、工場の食堂だったのだろう。
過去を乗り越えたユミコの目に映った直貴は、過去のユミコそのものだった。
これが放ってはおけない理由だろう。
似たような年代の男女が、ここまで大きく違ってしまうというのも非常に興味深いところだ。
つまり人は、手に負えないような大きな困難を乗り越えることで恐ろしいほど成長するのだろう。
そして、
アサミ
ユミコとは真逆の人
すでにTV出演を果たして上場に滑り出した漫才師へのキャリア。
合コンに現れた清楚な女性
夢の中に足を踏み入れることができた喜びとその場いたアサミを好きになるのは、直貴にとってはごく普通のことだった。
しかし、有名人になることで起きる「犯罪者の家族も犯罪者だ」という闇の声。
夢を捨て、アサミと結婚すると言った直貴はいったい何を見ていたのだろうか?
こっちがダメならこっちという感じだったのだろうか?
アサミの父、親同士が決めたフィアンセからの追及
アサミが直貴のアパートから出て行ったのは、「そのこと」を急に受け止められなかったからだろう。
これが覚悟と閾値だと思うが、アサミはひったくりにあったとき怪我をしてしまう。
お金を渡され去るように言われた直貴
ラピュタのパズーに金貨を渡したムスカとの差を考えてしまう。
彼女が戻ってきたにもかかわらず、父親の一言で金をもらって去ったのは、夢を追いかけて輝いていた自分ではなくなっていたことに気づいたからだろうか。
自分にはふさわしくない彼女
自分には幸せにできないと思たのだろうか。
病院で寝ていた彼女だったが、二人の会話は聞こえていたのだろう。
あのブレスレットと流れ落ちる涙が恋の終わりを告げていた。
さて、、
直貴という人物が向き合わなければならない方向にはアサミはいないだけなのかもしれない。
人生のパズルをはめ込むピースはアサミではなかったのだ。
向き合わなければならないのはやはり兄であり、兄を自分の不幸の原因としていることだろう。
これを何とかしてくれるピースがユミコだった。
この辺が優れた物語を書く人の素晴らしさだろう。
悩みも目的も、最初からずっと一緒にあったということだろう。
その手段が漫才だったのも、その過程でユミコと出会ったのもすべて最初から揃っていた。
まさに人生とはそんな感じのようにも思える。
何もかもまたすべてがダメになって、兄に絶縁状を書いた。
しかし逃げ場所などどこにもない。
絶縁状によって兄は、手紙のひとつを書くことで新しい犯罪をし続けてきたと嘆いた。
しかも相手は二人 直貴と遺族
剛志の絶望感は凄まじいものだろう。
やがて受刑者たちを慰める会にやってきた漫才師 直貴
ネタで受ける中、兄貴は兄貴だという直貴
項垂れながら泣きじゃくる兄
絶望は、
遺族の「もう、終わりにしよう」という言葉から始まり、漫才という形で兄へと届けられた。
外で直貴を待つユミコ
娘が仲間に入れてもらえるかどうか心配する。
やがてそれが笑顔に変わる。
人に受け入れられるということ。
これこそが、人が最も欲していることなのかもしれない。
中々素晴らしい作品だった。
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