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歓喜の歌のotomisanのレビュー・感想・評価

歓喜の歌(2007年製作の映画)
2.4
 ろくでなし役場職員のヘマをどう収拾する?元が落語だから一筋縄でもいけないし、真っ当ぶっててもいけないし、どこかに大辛なツケが回るようでないといけないし、もちろん救われるところは救いが要るしで物語以上にこんなのの制作どうする?と監督以下、手際が気になる。
 ろくでなしだからヘマっても碌な対応ができんのだが、そこを迷惑を被った女たちが尻を押して立て直してゆくという。その中から女のエラさや男の馬鹿さ加減が滲んでくるわけだ。このろくでもない成り行きを女の力添えでヘロヘロ復旧させるダメ男の可笑しみがはなしの味にもなる、のはずなんだが。無駄口を聞かせすぎるし、絵はダラダラ引っ張るし、ダメ男のヘタレ振りと居直り感の配合も悪い。ことに小林の芝居の物足りなさ、安田の緩急不足、緩ばかりで数十人を率いている女のしっかりが足りない。そうこの話の柱は女が影に担っているので安田が一度だけでも小林を真顔で叱らないといけないのだ。そして小林は地獄を巡って、も一度浮かび上がらないといけない。そうでなくてなんで笑って済む。落語なんだから凍り付くよな奈落からでも笑いを返せんでどうする?
 談志が落語は人の業を肯定するもんだとか言ってたようだが、商売女に入れあげて、悪評たたって左遷され、離婚の瀬戸際に立って、仕事も身に入らず、人に縋ってやっと立ってる落語に打って付けな男のチンケな業であろうともしっかり曝して泣いて笑って奈落に落ちてやっと肯定できるし、落ちても止まない馬鹿ヤローを認めてやっと浮かぶに転じることもできる。当たり前な事も分からず作ってしまったらしいこの映画、小林を落語めいたふざけた奴で締めくくって、原作志の輔です文句はあちらへと言いたいなら、それこそ笑える話だ。
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