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父ありきのotomisanのレビュー・感想・評価

父ありき(1942年製作の映画)
4.1
 日中戦争が俄然世界戦争に進展してしまう。少なからず、そうなるものと長年思いながら、いつ?どのように?と案じる不安がついに解けて心が束の間晴れたなら、きっと斎藤茂吉のように嘘ともつかぬ清々しさで前を向けただろう。しかし、見えない背後には強大な米国の暗雲が寄せて来ている。敗北の懸念もなく惨禍に想いも巡らずなどあり得たなら、どれほど想像力を殺がれた時代だったのだろう?茂吉をして如何に?

 と、それに類する事はおくびにも出さず、父と息子の15年ほどが描かれる。最後に息子竜介の応召が告げられるが向かうは対世界戦であるとは、小津とて思いもしなかったろう。そんな背景下、男ばかり二十人ほどの登場人物では元中学教師、父・笠智衆の教え子3名が戦場にある。
 父はそれとなく滅私を諭し、奉公を説く。疾うに母親は亡く、究極の核家族二人は息子が中学に就学する物語の初めから分裂して、父は東京で民間企業に再就職し社会に奉仕すると云い、その稼ぎを支えにして息子も信州上田の中学から、遠地の高等学校、仙台の帝大に進み、さらに秋田鉱山学校の教師へと、父とはすれ違い続ける人生を歩み滅私の連続を強いられる。
 稼ぎを捨てれば家族の核は保たれるが、父と子の最大限の奉公は叶わない。そうした公私のせめぎ合いを実にきれいに描く、それを曲者と思わせないところも小津なのだろう。

 そんな十年を数分で流し去って、秋田赴任1年目、息子は25歳、徴兵検査から応召まで、同時に父との最後の日々延べ数日のあっさりした時間を釣りに興じ、語り、酒を酌み交わしして過ごす。どことなく感じる理不尽な滅私といかにも男子たるもの斯くあれと奉公に徹するありさまに強張るこころであるが、十年越しの再びの鮎釣りと父子差し向かいとの様子によって妙に解されてしまう。

 このような曲者の映画が、今だからそう感じられるのかもしれないが、この時代はまだまだそんなに生易しいものではないぞと叫ぶように「海ゆかば」を歌い出す。
 それは軍の命令なのか知れないが、戦死したものでもない父の遺骨を包み込むように流れる「海ゆかば」への違和感が醸すところの小津があの終末をそのようにした思いの分からなさが、この映画を受け入れる事に立ちはだかる壁のようにも思える。

 父のいない小津であり、その描くところ、母を知らぬも同然な息子が今また父を失い、妻とする女性を間もなく置き去りにして出征する更なる滅私を前に、奉公を報国に転じて、天皇の赤子として戦友を生涯の仲間兄弟とするべく、屹度生まれ変わるのだ、と告げるように覚悟の表明としてあの「海ゆかば」は歌われているのだろう。
 十数年後、小津はそうした戦友たちの後日を度々、手短に描く。そこに「海ゆかば」は流れず、父・元先生が当話中そうしたように誰かの吟ずる詩が戦友たちの回顧にただならぬ重しを加えてゆくのを教えてもらえるだろう。

 このように思いが巡って後、そんな時代の始まる前日が斯くの如し、わたくしと父と共にありき、と語られているのだ、と感じられた。
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