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ブレードランナーのKEiGOのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー(1982年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

SF映画の金字塔。
サイバーパンクに潜む人間の存在理由。

いやぁ、面白かった。
もっとアクションSFなのかと思ってましたけど、ストーリー自体はわりと淡白でしたね。
その分、内包されたテーマは濃密なのですが…笑

やはり最初に目につくのはその世界観!
我々日本人にとっては謎ネオンや謎日本語に気を取られてしまいますね笑
リドリー・スコットは歌舞伎町の町並みを気に入ったようで、それが本作の世界観に反映されているそうな。彼が日本を訪れたのはバブル前なのかな?高度経済成長を経て、70年代はやや落ち目の日本。そんな時期だったからこそ、歌舞伎町がより一層退廃的に映ったのかもしれませんね。


ところでレプリカントって本当に労働を目的として作られたロボットなのでしょうか?
寿命が4年と耐久性が低すぎますし、怪我をすれば血が流れるし、人間と同様に死ぬ。
あまりに非効率的です。
とすると、労働はレプリカント発明の副次的な理由であって、本質的な理由はまた別にあるのではないでしょうか?
僕はそれこそがタイレル博士のメッセージであり、この作品のテーマであると思います。

タイレル博士はロボット工学の天才ですが、その実「人間とは何であるか」を追求していたように感じます。そうでなければレイチェルを作る理由が分かりません。産業的利益だけを求めるなら、レプリカントに記憶を持たせる必要はなく、また人間と瓜二つの造形をする理由もないでしょう。
ロボットが極限まで人間に漸近した時、ロボットは人間に成り得るのか。それとも人間がロボットに成るのか。はたまた両者を超越した別の概念が生まれるのか。
人間とロボットの行く末を知りたいという知的好奇心から、タイレルはレプリカントの研究に没頭したのではないか。

”『ブレードランナー』は「人間とロボットの違い」に言及した作品だ。”と言われることが多いですが、僕はこれは惜しいと思っています。いや、単に言い方の問題なので解釈は合っているんですが、”違いは何か”より、”人間とは何か”を考えさせる話かなと。

ロイ達は自分の原点を探し、その過程で命の尊さに気づき、そしてレイチェルは自我を持ちました。
人間と何が違うか?
何も違わないと思います。
”十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。”
SF作家アーサー・C・クラークは三法則のひとつとしてこう定義しています。
『ブレードランナー』のように高度に発達した世界では、人間そのものの定義が揺らいでいるのです。
だからこそ我々は自分が何者であるのか常に内省し続けねばならないし、それこそが”考える葦”の特権でしょう。
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