さき姐

ブレードランナーのさき姐のネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー(1982年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

この監督、最近エイリアンの新作で2本もかけて似たような話作ってたけど、
人工知能の開発が変な方向へいったらファスベンダーがエイリアン騒動おこすよ!
ていう話に初見では見えてしまって、ブレランもロボット開発にはくれぐれも注意しろよ、にわか科学はご勘弁、みたいなそういう話かと勝手に思ってたけど…
どうもそんな話ではなさそうです。

というのもありがたいことに、専門家の解説とセットで見させていただく機会がありまして、今作を哲学と精神分析のことばを使って理解する会で鑑賞しました。
曰く、ルドガーハウアー=ニーチェの超人だよ、ですって。
彼は自分を4年の寿命に設定して作った人間(創造主/神)を恨んでいる(ルサンチマン)
タイレルとセバスチャンを殺す(神を殺す)ことでルサンチマンが解消される
一方タイレルとの会話で自分の死は不可避と知る
ならばその運命を受け入れ(運命愛)この生を存分に享受することにした→死の直前までデッカードをいたぶって遊んだ(ドSやな)
つまり死の恐怖を乗り越えた
こういうわけで超人となった
とのこと。

ん?
とはいえ彼も結局は死んでいくのです。
超人になったところで死んだら終わり。

あがいてはみたものの、創造主/神は殺せたとしても、でも結局神には勝てないのです。
レプリカントである時点でそれはどうしようもない。
ファスベンダーもエイリアン作って人類を大混乱させることはできても、本当の望み(代を繋ぐこと)は果たせない。
AIロボットである時点でそれはどうすることもできない。
神々には根本からかなわない…
そんなロボットの悲哀みたいなのをリドスコは描いていたのかな、と解釈を修正いたしました。
とくに続編2049(こちらは製作総指揮だけど)も見ると余計にそんな気がしてきました。

ていうかもっと言えば、入れ子構造で、人間は人間である時点で神にはかなわない、神を殺したとしても神に勝ったわけではない、みたいなことも言えるのかも。人間である時点で我々はなにもできないんだ、みたいな。考えすぎか。
さき姐

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