MasaichiYaguchi

フェリーニのアマルコルドのMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

フェリーニのアマルコルド(1974年製作の映画)
3.6
原題“AMARCORD”は、本作の監督&脚本のフェデリコ・フェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の、現在では死語となっている言葉で「私は覚えている」を意味する。
このタイトルが表すように、フェリーニにとって忘れ得ない思春期の1年が随所にユーモアを交えながら抒情的に描かれていく。
舞台となっているのはアドリア海に面した小さな港町で、物語は綿毛舞う春の先駆けから幕を開け、海原に陽光輝く夏、その強い日差しが治まり、大地が色付く秋、そして粉雪が舞って町を白く染めていく冬、その四季の中でレンガ職人の父を持つ15歳の少年チッタを中心に、その母や祖父、弟や叔父等の家族、学校の悪友たちや先生たち、チッタの憧れの年上の女性グラディスカの夫々のエピソードが描かれていく。
この作品は1974年製作だが、当時、私は東京下町に暮らす15歳だった。
生まれ育った国や環境、時代背景も違うが、チッタが抱く父や母に対する思いや年上の綺麗な女性への恋心も理解出来る。
ただ当時の私は、生まれ育った東京下町の独特の雰囲気に思春期特有の反発心から、ひたすらそこから出たい、離れたいという思いを抱いていた。
この作品では、第二次世界大戦前のファシズム政権下で、その悪影響を受けながらも厭世観は薄く、それよりも故郷の町やイタリアに対する愛着の方が強い。
チッタは彼の人生における忘れられない出来事を経験していくことになるのだが、そのことを通して少年から大人への道を一歩踏み出したのだと思う。
そしてフェリーニ自身をモデルとした主人公のメモリアルな1年を描く本作は、フェリーニのもう戻らないその時や経験、その当時の町や人々に対するノスタルジーや惜別の思いを描いたのかもしれない。