odyss

クララ・シューマン 愛の協奏曲のodyssのレビュー・感想・評価

2.0
【残念ながら】

作曲家ブラームスの末裔である女性監督の映画なんですが、残念ながら、という出来栄えでしょう。

失敗の原因は、監督が女性芸術家としてのクララに肩入れしすぎていること。この映画では、ローベルト・シューマン、クララ、ブラームスの三人がいわば鼎立して、お互い同士拮抗していないと面白くならないんですけど、そういういわば基本的なことが彼女には分かっていなかった。

一例が、クララが夫の背後から指揮をするシーンです。あれは完全にフィクションなんで、クララはたしかにピアニストとして、そして作曲家として活動したけど、指揮もやったという事実はありません。むろん事実としてなくとも、そういうシーンを入れる必然性があれば問題はないのですが、私の見るところ、必然性には乏しい。監督はとにかくクララという女性が男性社会の中で縦横に活躍できる才能の主だったということを言いたくて――そういうセリフもありますけど ――ああいうシーンを入れたのでしょうけど、明らかにやりすぎ。

つまり、あのシーンを入れることで、クララはスーパーウーマン(ピアニスト、作曲家、指揮者、妻、母――となんでもできちゃう女性)になってしまい、3人の芸術家のそれぞれの芸術的な悩みとその克服、そして三者三様の芸術的才能の出会いを描くという芸術映画としての味が薄れ、かつ3人の人間的な悩みをそれなりに掘り下げ、その悩みの中で3人がぶつかり合うという人間ドラマ的な側面も浅くなってしまったのです。

若いブラームスが、クララとあそこまで行きながら行為を完遂しないのも変。二人の関係については諸説ありますけど、映画の中ではそれこそフィクションでもいいから説得的な描写をしないと。

あと、若いブラームスはいいとして、クララ役とローベルト役、いずれもイマイチですね。ミスキャストに近い。まず、クララ役はもう少し美人じゃないといけないんじゃないでしょうか。これも、偏見と言われるのを覚悟して書きますけど、監督が女性だから美人を選ばなかったんじゃないか、なんて思ってしまう。ローベルトは晩年にはたしかに狂気に駆られていたから、そういうエグさを出すという意味ではミスキャストの度合いはクララより低いけど、それにしても一般に流布しているシューマンの肖像イメージを壊すような容貌ですね。

というわけで、ドラマとして見ても、キャストの視覚的な魅力から見ても、満足には遠い映画という結論です。
odyss

odyss