1963年 ”越前竹人形” 原作水上勉 監督吉村公三郎 脚色笠原良三
主演 若尾文子
この頃が最も美しく見える若尾文子の切ない演技が印象的です。いつまでも耳に残るあの独特の声と台詞まわし。こんな美しい奥さんに求愛して受け入れてもらいながら、若旦那は母のように慕うばかりで抱くのを嫌がるのだ。う~~ん、悩ましいストーリーながら稀にみる芸術性豊かな映像作品です。
まるでフランスの白黒映画を見ているような映像センス、思わず唸ってしまいそうな素晴らしいカットが次々と映し出されて嘘~~!、としか思えません。素晴らしい音響効果、水上勉の原作のレベルの高さ。すべてが傑出しています。
こんな日本映画があるんですねえ。まいりました。
物語は「昭和のはじめの頃」という文字が出て始まる。
“山紫水明の越前の自然”から福井県の山奥に竹細工を生業としている喜助(山下洵一郎)という若い男がいる、親父喜左衛門が亡くなって、ある日、喜左衛門に世話になったという芦原温泉の遊廓に働く遊女玉枝(若尾文子)やって来る。父の墓前仏さんに線香をあげ。。喜助が名前を尋ねると「芦原(あわら)の玉枝どす」と色っぽい京都弁は若尾文子。
そして手を合わせてすぐ去っていた
雪降る中、仏さんの墓の前で合掌する「若尾文子のうなじが美しい!」『世界一のうなじ』だと思う。。
玉枝を一目見て気に入った喜助はしばらくして芦原温泉を訪ねます「芦原の玉枝」わずかな手がかりから探し出します。
京・島原の遊郭から越前の遊郭に移り住んだ玉枝でした。
つまり死んだ父親は玉枝の馴染み客だったのです。
喜助の熱い想いが通じ、まもなくその女性が年季があけたあと喜助の元に嫁いできます
「水上勉の原作であるから、このまま終わるはずもない」と思い始めた頃、夫婦になったのに喜助は玉枝と夫婦の営みを全くしようとしない。僕にとっては、もうじれったくてじれったくて仕方がなかった。「若尾文子を妻にしておいて、何だコイツは!信じられない奴だ!
“神聖にして犯さざる女神”…玉枝を抱こうとはしない喜助の気持ちもわからないではないですが、嫁にしたんですから抱いてあげないと…。
僕なら、人形にしてその美を永遠に残すとともに、その生身の存在を、精神的にも肉体的にも愛し尽くしたいですね。
喜助の作った竹人形が金賞を取る、その商品を扱う工芸店と取引行うことになる、そこの番頭崎山(西村晃)は喜助の妻玉枝を見てビックリ
玉枝が京都島原の遊郭に勤めていた頃の常連客だった、崎山と旧交を温める二人、というわけにはいかず、エロ心が再燃して玉枝に襲いかかる崎山、玉枝の必死の抵抗もむなしく・・・
その後、玉枝の望まぬ妊娠をし苦悩し始める
“女神”をいとも簡単に蹂躙するのは西村晃さん…もう、虫唾が走るほどの嫌らしさです
クライマックスでヒロイン玉枝が彷徨する“焼け付く熱さに揺らめく
京都の街”までを舞台にして、天才的なカメラワークで魅せてくれます。
特に、雪景色、竹林のざわめき、太陽光線を撮り入れた景観、河の流れと淀み等の自然描写に加えて、様々なカットや構図を用いて絶妙なタイミングと思わせぶりな登場の中村鴈治郎にドキドキしました。
若尾文子の匂い立つような一種神々しいまでの美しさが銀幕に刻みこまれた一本。このとき若尾文子30歳。
まさに女優として美しさは頂点に達している感がある。必見。
(それから、若尾文子さんの行水シーンは圧巻の官能美であります)
中村玉緒が若く”かわいい”
宮川一夫のシャープな画調が切れ味抜群です。
身体が疼いて、心がザワザワした時の真っ黒な竹林。
妊娠中絶を否定される時のシルエット。
夏の渡し船のギラギラした水の反射光。
お腹が痛くてうずくまった時の周りに日よけが何ひとつ無い、川沿いの真っ直ぐな一本道。
船から流れる川面の黒髪の恐ろしさ。(ほとんどホラー)
ラストの稲妻の演出。
あまりにも切ない結末でした
こういう陰鬱で悲劇的な話は大好きだ。日本映画の真骨頂だと思う。
ハリウッド映画では絶対に出せない味である。
日本人に生まれてよかったと心から思う瞬間だ。
ラストに満ちた無常感が何とも言えない余韻を生んでいて、
このあたりが水上勉節というところでしょう。