ボクシング・ウェルター級の日本王者が網膜剥離で突然引退して空位となった王座をめぐって、日本ランカーのボクサーや所属ジムの会長たちの人間ドラマを描いた、井上梅次監督のドラマ映画。日活を退社してフリーになった直後で、大映での初監督作品となる。
ボクシングが題材となっているが、スポーツ/ボクシング映画と形容するのは適切ではないだろう。ボクシングという競技/スポーツの枠の中でのドラマを描いているというよりは、ボクサーやその周辺の人々が織りなす人間模様や人情に焦点が当てられている。なので、ボクシングを期待すると少し肩透かしを食らうかもしれない。だからと言って、特に面白い人間ドラマが展開するわけでもないが。
それよりも、本作で最も印象的(かつ貴重)だったのは、ボクシングに対する当時の世間が持っているイメージ・見方が表現されている点である。アウトローたちが行う野蛮な格闘技というような認識だったのだろう。全盛期を過ぎているが今回のチャンスに賭ける日本ランク1位の山中(川口浩、あまりボクサーにはみえない)は、婚約者(若尾文子)からボクシングを止めなければ婚約を解消すると言われてしまう。山中と同じジムに所属する若手ボクサーの旗(本郷功次郎、ワルになりきれない演技がイマイチ)は、ライバルの恋人を強引にさらってしまうなど、素行に問題がある。二人が所属するジムの会長(山村聡)でさえも、相思相愛のバーのマダム(新珠三千代)から、ボクシングか自分のどちらかを選べと急かされている。さらに、王座決定戦への出場をめぐって、ライバルのジムなんかは反社会的勢力のような阿漕な振る舞いをみせる。「選手=組員、ジムの会長=組長」と考えると、本映画のストーリーはまさに任侠映画になる。
映画全体を通じて、ボクシングの和訳である「闘拳」もそのようなネガティブなニュアンスで使われている。一方で「ボクシング」という言葉は、クリーンなスポーツというポジティブなイメージを強調するときに(例えばジムの会長が)使うくらいしか出てこない。ボクシングに対するこのような悪いイメージを払拭するために本映画が企画されたのでは、という穿った見方をしてしまうほどである。でも、日本人として初めて世界王者となった(当時はすでに引退していた)白井義男がテレビ放送の解説役で出演しているのをはじめ、実際のボクシング関係者が多く出演していることを考えると、あながち間違いではないのかもしれない。