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ティファニーで朝食をのtakのレビュー・感想・評価

ティファニーで朝食を(1961年製作の映画)
4.5
オードリー主演作の中で特に好きな映画である「ティファニーで朝食を」。自由奔放で、偏ったバイタリティの塊のようなヒロイン、ホリー・ゴライトリー。同じアパートに暮らす新進作家ポールには心を許し、時折弱い部分を見せることもある。ポールは彼女に振り回され続けるが、手がかかる彼女を次第に愛するようになっていく。「恋人たちの予感」を筆頭に、僕が”お友達から発展する恋愛映画”が好きなのは、これがきっかけなのかもしれない。その後、カポーティの原作を英文で読むことにもチャレンジしたこともある(半分過ぎで挫折したけど)。オードリーの魅力はもちろんだが、物語に惹かれたのも大きかったかな。

「スクリーン・ビューティーズ」と題された特集上映で、デジタルリマスター版が劇場で観られる!と聞き、初日に勇んで行ってきた。だって、オードリー主演作でいちばん好きなのに、テレビ放送版しか知らないからだ。デジタルリマスターの映像の美しさとヘンリー・マンシーニの音楽にうっとりする2時間。この映画はなんと言っても主題歌ムーンリバーが有名なのだが、場面ごとにアレンジが異なるムーンリバーが散りばめられているのが素敵。場面ごとに雰囲気を盛り上げてくれる。あぁ、こういうのが映画音楽だよな。ミッキー・ルーニー演ずる日系人ユニオシ氏登場シーンは、テレビ用の編集ではことごとくカットされてたのがよくわかった。やっぱりこれ、日本人には残念な描写。10代で観たときにピンとこなかったのは、ジョージ・ペパードとパトリシア・ニールの関係。年上の恋人?と子供心に思っていたが、別れを言い出した後で小切手を切ろうとする彼女やクローゼットにずらりと並ぶスーツ、不思議な室内装飾を見ると、いかにポールが彼女に依存した生活だったのかがよーくわかる。それだけにトイレに立つだけで50ドルなんて生活を送るホリーとの対比が見事。「女からお金もらうの得意でしょ」と酔ったホリーに言われる場面の切なさ、ふがいなさ。

この映画はホリー・ゴライトリーを受け入れられるかどうかで、好き嫌いが分かれる映画なのかもしれない。改めて観てそう思った。さんざん振り回されたポールだが、彼女の無鉄砲さに"自分がいないと心配だ"と言うまでに気持ちが高まっていく。一方で、映画の最後まで彼女のキャラクターを許せないと思う方もきっと多いに違いない。身勝手で、人の気も知らないでズケズケものを言う娘ではあるけれど、僕は自分のスタイルや主張のあるホリーのような女のコをかっこいいと思えた。現実世界でもし僕のそばにいたら、きっとワクワクすることを一緒に楽しんでくれる存在であるに違いない。

しかし自由奔放であるがゆえに、孤独を抱えているのもホリー。束縛を嫌う彼女が拾ってきた猫に名前をつけないのは、名付けすることで"所有"する気持が生ずるのが嫌だからだろう。そして映画のラスト。ホリー(と彼女の分身である猫)は雨の中でポールの愛情を受け入れる・・・。多くのフォロアーに真似された"雨の中で抱き合う男女"という構図。でも、あれで終わるからこの映画は恋愛映画として成立している。このラストシーンの後、自由奔放なホリーはやっぱり生き方を変えられずにどこかへ旅だってしまうかもしれない(行った先では別な名前を名乗るのかもしれないが)。そこが語られたらきっとこの映画を支持する人はグッと減ってしまうに違いない。お転婆娘が、愛情という窮屈さ(しかしそれは幸せでもある)を受け入れたと暗示するラストシーンだからこそ、ハリウッドらしい"ヒロインの成長物語"という結末にもっていけた。いずれにせよ、お洒落なスタイルと音楽、オードリーの魅力、そしてハリウッドらしいエンディングで原作を上書きしたことで永遠となった素敵な映画。映画の神様、これをスクリーンで観られたことに感謝します!
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