Ryoma

自転車泥棒のRyomaのネタバレレビュー・内容・結末

自転車泥棒(1948年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

芥川龍之介の羅生門のような話で、「極限状態における人間の意志の揺らぎ」を虚無の眼差しで描いている。でもそのテーマがかなり普遍的なものだから、いつの時代でも多くの人々の心を揺さぶり、こうして映画史上の古典として残っているのだと思う。
個人的には「盗まれた自転車を探し回る」くだりが少々強引で冗長に感じられたが、それでもあのラストシーンが大きな意味を持つのは、このくだりが「大いなるフリ」として機能しているからであって、決して軽んじてはならないし、実際、かなりカメラワークや演出はうまいので、退屈せずに観てられた。
で、やっぱりクライマックスは主人公が「自転車を盗む」ラストシーンで、このシーンは、台詞をほとんど用いずに、「町にある大量の自転車」や「行き先も知れず群がる人々」を交互に映し出すことによって、主人公の無力感・絶望感を演出していて、「行為」に走る瞬間を、鬼気迫る程に捉えている。それが文学などでは決して描けない、映画にしか描けない演出であると思って、名シーンだと思った。
あと主人公の子供が、この作品の「悲愴感」をより深いものにしていて、重要なキャラクターだと考える。最後のシーンなんて、子供が「パパ、パパ」とあてもなく祈るように泣くのは、さすがにつらいし、悲しいけど、この作品のテーマを深淵にまでもっていっている。
こういうシンプルなプロットで、ヒリヒリ痛む程の人間社会の厳しさを、百年残る程の明晰さで描き切るのは、映画の「魔法」が必要だけれど、この作品には確かに、「魔法」が存在した。傑作だった。
Ryoma

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