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自転車泥棒のniのレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
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イタリアン・ネオリアリズムに触れる機会があり、その関連で。
生活に根ざしたギミックや、大人のどうしようもなさが子どものあどけないコメディによって強調される点など、小津安二郎監督作品に似たものを感じた。
この「自転車泥棒」の最後の、子どもの前で盗みをしなければならないシーンなど、小津安二郎監督の「生まれてはみたけれど」に感じた、どうしようもなさに似たものを感じた。

二者の比較に特に意味はないが、小津安二郎監督がブルジョワの生活を描いているのに対し、ネオレアリズモの本作は貧困層の暮らしを描いている。
おなじ、「どうしようなさ」でも、小津安二郎監督のそれは、無常感であり、もののあはれ的な精神的境地であり、間接的なものだが、
本作のどうしようもなさは、貧しさであり、明日食えるかであり、直接的で物理的なものである。
それが自転車をギミックとして、全体の目的となり、映画の進行力になっている。

貧しさのどうしようもなさ、神にも頼れない現実味がひしひしと押し寄せてくるが、ラストの展開には希望に似たものも感じる。わかりやすく作られた、観やすい映画だと思う。ラストは、感極まるものが確かにある。
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