Ryo

自転車泥棒のRyoのレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
4.1
本作が制作された年は、第二次大戦後から数年しか経っていない戦後の動乱期である。敗戦国のイタリアでは日本と同じように失業者に溢れていた。イタリアは特にひどく廃墟のようになってました。この映画の大半は、ただ盗まれた自転車を探すだけの内容なんですが、何故か心に響くのは、戦後の混乱期に災難にあって懸命に生きようとする親子を映し出しているからでしょう。

戦争から立ち直ろうと一所懸命に生きようとした人間にすら、戦争の爪痕はこのような小さな悲劇を頻繁に生んでいたのだろう。直接的ではないにしろ反戦のメッセージが垣間見える。

ー主人公が傲慢な理由ー
主人公が完璧で仲間思いな人間でなく、神に敬意を払わず、老人にも容赦なく、傲慢である理由はそれがリアルだから。
映画や漫画の主人公のような完璧な作られた人間ではなくネオリアリズモ。現実に近いリアルな人間を描きたかったのだ。


ーラストシーンの為の物語ー
ネタバレになります

主人公は家に立てかけられ鍵のかかってない自転車を盗みます。主人公は犯人と同じ立場になりますがなぜ主人公の自転車が盗まれたのか。盗むに至った経緯を考えさせるラストシーンである。主人公の自転車を盗んだ犯人もいろんな経緯があったに違いないしこんな世界になったせいかもしれない。
このラストシーンを見せる為の物語(経緯)であったことがわかる。

結果だけを見ないで理解してあげる。それが映画の在り方だとも言える。
金持ちは何も助けず貧困層は搾取されるのみで生きていくのに必死。本当にそんな状況で泥棒=犯罪=悪者といえるのか?
Ryo

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