もしも僕が女の身体性をもつ場合には、エリック・ロメールをどんなふうに見るのかは分からない。いっぽう、男の身体性をもつ現状であれば、この下品さすれすれの嬉しさをどうしても味わうことになる。
オープニングのMorris Mini Minor(モーリス・ミニ マイナー)の動きからして、なんてエロいんだろうと不思議な感動に包まれる。車の動きをさえ、こんなふうにエロく撮れる人は、たぶんロメール以外にいないのではないだろうか。
そして、頭から尻尾まで餡子(あんこ)の詰まった、たい焼きを食べたような嬉しさに近いこの映画について、いったい何を語りうるだろう。そんなふうに思ってみたとき、エリック・ロメールの作品はすべて、たい焼きの美味しさが美味しかったかどうかになるように思う。
従姉妹(いとこ)という関係にある、14歳のポーリーヌと離婚歴のある若く美しいマリオンが、夏の海辺の避暑地へやってくる。そこで出会ったマリオンの旧友である青年ピエールと、中年でプレイボーイの学者アンリとの間で交わされる三角関係。いっぽうポーリーヌもまた、同じ年頃のシルヴァンと恋人ごっこのような関係を結んでいく。
女2人と男3人の恋や愛をめぐっての喜劇は、どこかウィリアム・シェイクスピア(1564-1616年)の『真夏の夜の夢』のようでもあり、それぞれに愛への考え方をあてもなく話していく姿は、レイモンド・カーヴァー(1938-1988年)の『愛について語るときに我々の語ること』のようでもある。
そして、彼らの語ってみせたことにせよ、彼らのとってみせた行為にせよ、意味らしきものはまったくない。それらに真剣につきあってしまうと馬鹿を見ると言えばいいのか、しかしながらエリック・ロメールの真骨頂はその点にこそあるように思う。
原材料や調理方法によって美味しくなる食べ物ではなく、そのときふと立ち寄ってみた屋台のたい焼きが、奇跡的に美味しかった。この作品の魅力はそうした瞬間の奇跡が、意図的に生み出されているということに尽きるように思われ、エリック・ロメールの作品はすべて、そのようにして成り立っているような気がする。
★フランス