[ただの踊り子だった母さんへ] 70点
日本で初めて公開されたチュニジア映画とか偉そうなコピーで宣伝されたみたいで、DVDにも同じコピーが付いてたんだけど、それはそっちの都合であって、その一点張りはどうなのかと思ってしまう。ただ、私がそんなにチュニジア映画を知らんので強く反論できないのが辛いとこ。"こんな場外乱闘はイヤだ"。
チュニジア王国最後の皇太子の宮殿で二人の娘が産まれる。皇太子の弟の娘サラと踊り子の娘アリヤ。実の父親のように可愛がってくれた皇太子の死の知らせを受けて10年ぶりに宮殿に帰ってくる。ただの踊り子として皇太子の弟に手篭めにされ妊娠した母。自身も恋人との子を妊娠したアリヤだからこそ、あの頃軽蔑していた母親を、娘ではなく母として追想することで、最後の退廃的時代を懐古的に描く。
が、あまりに懐古が過ぎるのは苦手なので全く響かず。感情にさざなみすら立たなかった。そもそも状況が違うのに母親になっただけで理解できる部分は限られてると思うんだが、そこは自分も同じ時間を過ごしているから分かるという補正なのだろうか。というか、10年後のエピソード薄すぎるんだけど、別に要らなかったのでは?
母の後ろ姿を観て自分の父親が誰であるか気になり始めたアリヤは仲の良かったサラとも微妙な関係になり、皇太子の弟から関係を迫られている母を目撃したせいで心を閉ざしてしまう。そんな中、サラのおかげで出会ったのが民族音楽である。しかし、ピースとして存在するだけであんまりエモさがなく、乾いている。母親との関係をジメジメ描いているのに、自分を変えた音楽に対しては結構さっぱりしているのだ。不思議でならない。結局は歌手をやっている自分の境遇が踊り子だった母親に似ているからなのかもしれない。
皇太子の弟の命令でサラの結婚式で歌うことになったアリヤ。その裏で皇太子の弟の子供を産むことになる母。そして、出産によって母は亡くなり、時間軸は一気に10年ジャンプする。これはまぁ悪くない。ここまで政治エピソードは匂わせ程度だったので、王政の崩壊なんかを直接的でなく皇太子の死とすることで象徴的に扱っている。
結論、言うほど悪くないけど、私には響かなかった。結局父親が王族であることは確定し、これが母親との決別の決め手となってしまった。まぁ理解し合えないこともあるさ。