かなり悪いオヤジ

晩菊のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

晩菊(1954年製作の映画)
4.3
林芙美子による同名小説は、現在は金貸で生計をたてている50代の元芸者倉橋きんの家に、芸者時代にぞっこんだった田部が訪ねてくるところからはじまります。自らの老いを気取られまいと、ホルモン注射にヒロポン粒、砕いた氷を頬にあて顔のむくみをおさえてから入念に化粧をほどこします。結局、田部が金の無心にやって来たことが判明し、百年の恋も冷めてしまうといったお話です。

しかし成瀬は本映画において、老いに対する無駄な抵抗を描いた皮肉なストーリーが原型をとどめないほどに脚色しています。人生頼りになるのはヤッパリ最後はお金という結論に達するきん(杉村春子)の他に、芸者時代の元同僚を近所に住まわして、きんとは別の価値観を持つ女の生き方を提示します。きんから借金しているたまえ(細川ちか子)は、一人息子きよし(小泉博)とべったりの共依存関係、ギャンブル大好きなとみ(望月優子)には、典型的なアプレゲールの一人娘幸子(有馬稲子)がいます。

そして、子供のいない倉橋きんの家に住み込みで働いている女中静子(鏑木ハルナ)を聾唖者という設定にして、たまえやとみの子供たちと同レベルの存在感を与えています。他の成瀬作品同様に(きよしを除く)男たちは相変わらず金や女にだらしなく、それに比して元芸者の女たちのなんとたくましいことでしょう。きんは金、たまえは子供、とみはギャンブル。いずれその手から消えていく運命にあるそれぞれの生き甲斐に、観客は女たちの潔さを感じるものの、空虚感を覚えることはないでしょう。

ラーメンや豚カツに酒。成瀬はクロスカッティングを使った食事シーンをコミカルに演出することにより、3者の対比をより鮮明に浮き立たせていくのです。「死んじまいたいと思ったことが何べんあったかしらないけどさ、やっぱり子供が可愛くて生きてきたんだ」たまえの息子きよしが就職のため北海道夕張へと旅立ち、とみの娘幸子が親に挨拶もなしに結婚を決めたとしても、物言わぬ静子が暗喩する“金”を持っているだけの人生よりも実り豊かな半生を送れたのではないか。2人は自問自答するのです。

ラストシーンで、銀行員の板谷(加東大介)と投資先の不動産物件を見学しに行ったきんは、改札で電車の乗車キップを探します。「もしかして私の人生、何か忘れ物してないかしら....」それは、女の人生にとって欠かせない“血のつながった子供”を暗喩していたのではないでしょうか。しかし、次のシーンでバッグの中に大切にしまってあった切符を探しだし、難なく改札を通過します。「私にはこれ(お金)さえあれば大丈夫」とばかりにきんはほっと胸をなでおろすのです。

一方、きんより年下の二人は、まだまだ女を捨てたりしていません。たまえには縁談の話があり、とみを頼りにする若いつばめもいるようです。いい着物をきた若い芸者や、モンローウォークで街を闊歩するアプレ女子にメラメラと対抗心を燃やすとみの姿に、二人は大笑い。やっぱり女の生き甲斐はお金より恋よねぇ。女たちの欲望は果てしないゆえに、男より女はたくましい、ってなことを再確認いたしやした1本です。