かなり悪いオヤジ

セイント・フランシスのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

セイント・フランシス(2019年製作の映画)
2.0
若いBFとのSEXでできちゃった赤ん坊を、「産みたくない」といって簡単に中絶薬でおろしてしまう主人公ジョーンズ。それ以降なぜか生理がとまらなくなってしまうジョーンズは、子守をしている少女フランシス(黒人)の家のキッチンチェアや、男との行為の途中にベッドを血だらけにしてしまう。このメンスが何かしらジョーンズの後ろめたさを表現しているのかと思いきや、どうもそれがハッキリしないのだ。

血の塊となって便器の水溜に落ちてきた我が子のことなどまったく無頓着なのにも関わらず、血のつながっていない他人の家の子供=フランシスが、ふざけて池に落ちたりすると実の親よりも大騒ぎするジョーンズの心理がまったく理解できないのである。中絶権とフェミニズムを強引に結び付けた映画は、フランス映画『あのこと』と同じテーマといえるが、(2作品に共通する)堕胎した赤ちゃんに対する母親の思いやりの無さに、どうしても違和感を憶えるのである。

そもそもしっかりとした避妊もせずに、複数の男とSEXを楽しむジョーンズに、中絶がどうのフェミニズムがどうの、などと意見する資格は本来ないはずなのだ。ゴムをつけないでしたがる男が一方的に悪いとは言うけれど、きっぱりとそれを断れない女の方にも問題がないとは言いきれないのではないか。映画はそうした“イズム”以前の倫理問題をおざなりにして、中絶問題にいきなり切り込んでいるが故に、素直に観客の共感を呼べない作品になってしまっているのである。

トランプの支持母体の一つでもある“キリスト教福音派”に挑戦状を叩きつけた作品なのだろうが、まるで便秘薬を飲むかのごとくのお手軽な中絶法や、“血を流して苦しんでるのは母体の方なの!”といわんばかりの強引な演出には、産まれてくる赤ちゃんの生きる権利は一体どこに消えてしまったのだろうと、思わず首を傾げざるを得ないのだ。こうしたリバタリアンのネジ曲がったロジックは、“今だけここだけ自分だけ”の新自由主義論者が騙る無責任なスローガンに共通する傾向と言えるだろう。