垂直落下式サミング

渚にての垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

渚にて(1959年製作の映画)
4.0
『渚にて』
原題『On the Beach』の直訳なのに、なかなかどうして美しい邦題である。
核による最終戦争が起こり、世界のほとんどの都市が死滅してしまう世界が舞台の物語だが、これだけ緊迫した重いテーマを扱いながら腰の据わった恋愛ドラマとして作ってあるのに、ある意味凄みさえ感じる。しかも、主演はグレゴリー・ペッグ、ヒロインにエヴァ・ガードナーであることからもわかるように、この内容にして当時の超メジャー作品だ。
核兵器によって、北半球は放射能におおわれ全滅。南半球は気流や海流の関係上、巻き上がった放射性の物質が到達するまで数か月の猶予が残されている。そんな中、オーストラリアを舞台に、ほぼ確定的に訪れる人類の滅亡を前に生きる人々を描いている。
おそらく、今この話を映画化したとすると、ミサイルで世界の主要都市が破壊されるシーンや、核兵器により人々が跡形も無く消えていまうシーンをスペクタクルとしてCGを駆使してリアルに再現し、被爆によって生じる人体の変調を徹底してリアルにみせることはできるのだろう。そこに頼れない本作は、核の驚異を視覚的には表現せずに、登場人物がふとしたときに滅びを意識してしまうことで恐怖に引きつる表情を写し撮り、これこそが重要な部分だとして描いている。
ドラマとしても情感豊かで秀逸な作品だが、最も驚かされたのは、1959年に作られた白黒映画が、現代にも通じるような、いや、現代でこそ真実味を帯びてきた核驚異を、直視すべき問題意識だとして強く表明していることだ。
まだ米ソが核による抑止を追求し、躍起になって核開発に精を出していた真っ直中であり、軍縮に向けた第一歩となる核拡散防止条約よりも10年以上前の映画というから驚きである。核の驚異を扱った作品と言えば、動物が放射能に触れて怪物化するゲテモノホラーばかりだった時代だ。本多猪四郎の『ゴジラ』ですらその価値を正当に認められてはいなかった。アメリカハリウッドの赤狩りの傷跡すらまだそう癒えてはいない。そのなかで、こういう映画を作った人たちの勇気に敬意を表したい。
この作品のように多くの人々が、希望を捨てず気丈に振る舞ったり、あるがまま穏やかに自分の運命を受け入れるように描かれているのは、リアリティを欠きすぎているかもしれない。しかし、そこはスターを使った映画なのだから、人が「最後はかく在りたい」と願う姿を描かなければ、単なる恐怖を植え付けるだけの非娯楽になってしまうと考えたのだろう。
舞台はオーストラリアなので、このあと暴力と略奪が荒野を支配するマッドマックスの世界になるのは目に見えているが、その前には人の人らしい生活が育まれていたたのだと思いを馳せると、ただそれだけで泣きそうになる。