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岡山の娘
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岡山の娘の作品紹介

岡山の娘のあらすじ

母と二人暮しだったが、母が亡くなってひとりになったヒロインみづき。ヨーロッ パから帰ってきた会ったことのない父をどう受け入れていいかわからない。地方都 市の暑い夏。みづきとともに出口を求める岡山ドリームガールズ。なんでもありの 大胆さで展開される映像のなかで、自分自身とこの世界に抗議する。

岡山の娘の監督

福間健二

原題
製作年
2008年
製作国
日本
上映時間
92分

『岡山の娘』に投稿された感想・評価

アップリンク吉祥寺
よく分からないけど最後妙な感動があった。
2008.12.2@ポレポレ東中野
上映前トークショー瀬々×福間
壇上に椅子がふたつ。21時ジャスト、スタッフに呼び込まれて福間健二と瀬々敬久がステージにあがる。瀬々監督はふんぞり返った座り方。
『岡山の娘』公式ブログにアップされているトークショーの詳細→
『福間監督の「映画に引き寄せられては引き離されてきた」ここまでの人生で、90年代初めに強烈に「引き寄せられた」監督である。95年の『急にたどりついてしまう』では、瀬々監督がプロデューサーを務めた。
「『岡山の娘』は前作より若返ってる。むちゃしてるというか……。ああ、福間さんはこういう映画を撮りたかったんだなあと思いましたよ」
と瀬々監督はまず感想を語った。
そして「いちおう家族をテーマにしてるわけだけど、何かあったんですか。いま、黒沢清も是枝裕和も橋口亮輔も家族を撮るわけで、福間さんもブームに乗ったのかなって」と笑わせた。
「そんなことはなくて、キアロスタミ的に自分の分身をつくって、岡山に帰ってゆくことを考えたんだ。結果的に、親子の話になってよかったと思ってる」と福間監督。
具体的には、かつて福間監督が5年間暮らした岡山に、もし自分の娘がいたらどうしただろう、と考えるところから『岡山の娘』の大筋が出来ていったという話は、いろんな場面で語られている。
つきあいの長い福間監督と瀬々監督だが、どういうわけか、このふたりの会話は交わりそうで、実はちっとも成立していないようにもみえる……。
『急にたどりついてしまう』の製作過程はどんなだったのだろうと、余計なことを想像していると、瀬々監督の唐突な大声。
「福間さんのプラス思考は、13年たっても変わらないですねえ」
「えー!」
「僕なんか、撮るたびに絶望的になるのに、ほんと前向きですねー。ポジティブ・シンキング!」
福間監督、少々うろたえながら、瀬々監督に新作の宣伝をうながして、トークを終えた。』

で、そこで書かれていない発言等は以下のようなものでした。

○トークの始まり方の毎回のパターンとして、ゲストとの関わりを述べて、助けられたり導かれたりしたことへの感謝を述べるというパターンが出来上がりつつあります。瀬々監督とは(『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』&『急にたどりついてしまう』制作による接近の経緯)で、ありがとうとの弁。

○自分で映画を撮るとなったとき、瀬々さんも先行世代をある種の仮想敵にしたように、いまおか(しんじ)や女池(充)は瀬々さんがいて、その影響下でどうとっていくのかと道を模索したと思うが、自分も瀬々映画に強い影響を受けて(『急に~』時)そのうえでどう撮るべきか考えた。

○(『急に~』はけっこうかっちりしてたけど今回は壊れてて、若返ってるといわれて)『急に~』は初めてだからちゃんとしたものをやろう、まずは映画をしっかりやろうという意識があった

○『急に~』の現場も大変だった。ちょうどオウムの例の事件があって、スタッフキャストがなかなか集合出来ず、撮影に支障をきたしそうだった。

○『急に~』を撮っていた頃様々な事件が起きたが、結局それはそれとして映画制作ではその時代性には接続しなかった、そのことがこの映画が時代を生きていないものにしてしまったんじゃないかと未だに気がかり。それらの事件を無視するなら無視するで、はっきりした態度を持って制作するべきだったんじゃないか。ラッシュをみて絶望的なきぶんになったが、自分もラッシュをみたときはそうだよというセンパイの言葉に救われた。

○荒井晴彦が『身も心も』を撮るまえに福間さんの(『急に~』の)現場を訪れ観察、これならオレにも出来るかなと勇気づけられたと言ってたというイヤミな言いっぷりの瀬々に、そうなんですひとに勇気を与えられたらいいな~とおもって作ってますからとかテキトーな返しをする福間。

○『急に~』を撮ったあと、いろいろなことにまぎれて撮るということから後退していってしまったのは、撮るべき、信じるべき、語るべき物語を見つけられなかったから。僕はそれまでキアロスタミはあんまり好きじゃなかったんだけれども、授業でキアロスタミの映画を学生にみせて、自分らしき主人公の映画監督を役者にやらせて実話らしい話を撮る。これを、岡山時代に娘が生まれていたことにしたら出来るんじゃないかと、そこに縋った。

○『岡山の娘』は童貞的な映画、裸も絡みもないがその制約のなかで童貞的に撮った、自分も女の子をみたらエロい気持ちが湧くわけだし

○(客席を見回して)みたところ、これがどんな映画か、(福間がどんな人間か)、あらかじめ用意してきたようなひとが多そうですね。
いままでにない映画を撮りたいとおもって撮った。今撮る映画ならどこか今の時代と接続していないといけない。そう考えて撮った。だから若いひとに観てもらいたいし、映画を志す若い映画作家の卵にみてもらいたい‥(客席を見回して)若いひとは来てないみたいだけど‥(ゼゼ、僕が観たときは5人位しかいなかったとフォロー(?)、やりとりの結果それは9人の日だったと判明)

『感染列島』と(性格の悪い)僕(ゼゼ)は別人格ですので、と『感染~』を弁護兼宣伝してトークは終了。両監督が退場して上映開始。

*****

1.
事前には『岡山の娘』という映画が、福間健二がかつて一時期過ごしていた岡山で撮られたこと、くらいしか予備知識がなく、氏がもしも岡山時代に娘をなしていたら‥という発想からストーリーが生まれたという、その大まかな物語(岡山に娘がいて、父親が会いにゆく)も上映前のトークショーで観賞寸前に知ったばかりでした。なるほど、それで『青空娘』か‥。
岡山時代の福間健二というと、『福間健二詩集』に次のような文章がありました。〈三十歳からの五年間、岡山にいた。国立大学の教師になったことで親を安心させたが、二十代を最初からやりなおしている感じだった。まるで危ういところを救われるように結婚し、五四二頁の詩集『最後の授業/カントリー・ライフ』を出した。〉
その“やりなおした二十代”については、同じ文章の前節に〈詩はだんだんしんどくなっていった。英文学にも意欲がわかなかった。映画とロックでなんとかもちこたえたということにしておきたい。〉とある。結晶し、成熟してゆく仕方ではなしに、横滑りしてやり過ごすかんじに、氏の20代の日々が、逃げるように想起されています。何かおおきなものへのカウンターから、成人を経て、構築し、定着してゆくといった成熟する大人としての人生モデルがしっくりいかない苦しさにあって、その「やりなおし」としての30代に福間氏は〈大学の教師になって親を安心させ〉、〈結婚し〉、長いブランクを経て詩人としても再生する。

そこで「やりなお」されていたのは、ツリー型/ピラミッド型というか、いわゆる旧来の人生モデルのステップを、こころでは仮初めのものながら、「とりあえず」「あえて」のぼってみること、だったのではないでしょうか。『カントリー・ライフ』の冒頭部、〈まるで快楽の演技でもするように/つぎつぎに季節を脱いで/なにかの主人となり、なにかの/奴隷となり、視線の消える坂道で/手袋をした手に不意を打たれ/かがやくのをためらっているうちに/私たちは衰弱する〉という言葉の連なりは、カウンターする(絶対的な基準となるような)対象も、超自我的なよるべき規範も見失いフラット化した現状に、成熟や完成に向かうやりかたでなしにその生を「とりあえず」「あえて」染まるように生きてみる仕方が示されているように読めます。
『岡山の娘』冒頭の「もうこれ以上することはない、と会う人みんなが言った、2007年夏、岡山」というみづき/西脇裕美の呟きは、「目指されるべきもの」の終焉した世界の到来を正確に告げていますし、それはまた、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』での瀬々敬久の、〈テーマ主義も終わったし、きっちり芝居することも終わったし、どういうふうに映画を作るのかというところで、考え方がまったく違うところから行かないとしょうがない〉という言葉の向かうところとも響きあっているように思えます。

2.
「しんどさ」に実直に向きあって、確信をもって「社会」や「人生」へ向き合うことを困難に感じていた二十代も、「あえて」選択された旧来の人生モデルの階段を〈親を安心させ〉るようにして刻んだ三十代も、福間氏は、「物語」を盲信することで安楽を得られない迷いと苦しさと居心地の悪さのなかで生の時間を刻みながら、それでも、ふと、〈いつまでも猶予と逃げ道をあたえられているように見えながら、いつのまにか、のっぴきならない大事な場面にさしかかっている。そこに〉、急にたどりついてしまう。そう感じる。そのようにして、否応なくその都度その都度〈急にたどりついてしまう〉人生の〈のっぴきならない大事な場面〉に立ち合いながら〈そこを生きぬく〉こと。それを“物語=映画”として提出したものが前作『急にたどりついてしまう』だったと、とりあえずコジツケるようにして言えるかもしれませんが、最新作『岡山の娘』においては、「とりあえず」「あえて」“物語”を選びとることへの懐疑/不信感がより深まっているようにみえます。
今でも、いや、人生のどの場面でも感じられてしまう〈のっぴきならなさ〉、〈急にたどりついてしまう〉感覚が、この映画にも遍在してはいるのですが、それが“物語”や“人間関係描写”の充実/充填からの作品的完成化/結晶化へと向かわず、“表現”として壊れることで「物語」が滲み、希薄化するように感じられます。『岡山の娘』という映画で選びとられた「物語」や「登場人物とその関係」が、その自己同一性を見失い、弱々しく、じんわりと失効してゆくのですが、それらが顕れてくるさまが、落ち着きのいいアヴァンギャルドな前衛性を提示せずに、だらしなく、自然に流れでるように、漏れでるようにして、物語や、人物像や、出来事から、同一性を微妙に奪ってゆく。これはDV映画的特質でもあって(『岡山の娘』はHD撮影)、映画『岡山の娘』が、『急にたどりついてしまう』的な端正さの、どこか閉じた作劇にとどまらずに、一個の作品としての自己同一性を曖昧に放棄し流動化させることで、「あえて」“物語”を選びとることの不自然さ、居心地の悪さに、より誠実であろうとした映画だったことのあらわれでもあるでしょう(劇場公開版の92分バージョンのほかに、2時間をこえるロングバージョンや岡山映画祭2007上映用の25分バージョン等が存在することからも、この映画作品が、確固として唯一的に結晶化/定形化することから逃れようとする性質を有することを示しているように思えます)。
『岡山の娘』は、様々な詩作品や書物、先行する映画からの引用やオマージュが積極的にとりいれられていますが、ここでの引用やオマージュは衒学的には作用せず、ここではそれらは、この作品の〈外部〉に、異なる思考や異なる世界、リアリティの硬度や質感が違う表現が他者的に「確かに」存在する、そのような接続を示すものとしてあります。均一的な価値観や審美性によって纏められたモノを一個の作品として結晶させる、そのような無自覚な「物語」性が、ここでは不誠実なものとして疑われているように思えます。『岡山の娘』は、作品的な境界/自己同一性を、非・均一的な外部へと曖昧に押しひろげることで、「現在」を生きる誠実な「物語」を掴もうとする。

3.
〈岡山になにかを置いたままにしていて、それを見つけに行く。岡山を舞台に映画をつくるとしたら、そんなふうにやりたい〉。置いたままにした“なにか”とはなにか。
福間氏独特の言い回しに、「‥ということにしておこう」「‥ということにしておきたい」というものがありますが、「運がよかった」/ということにしておこう(「映画とロックでなんとかもちこたえた」/ということにしておこう)という言い回しは、「運がよかった」「映画とロックで~」という認識や判断が「あえて」「とりあえず」選ばれているものにすぎず、不確かな、幾らでも交換可能な(不誠実な)ものとして揺らいでいることを示していると同時に、その上で、そのように「しておきたい」という気持ちの“本当さ”のほうに誠実さ、比重の大きさを置いていることをあらわす。「映画とロックで~」という認識/判断で勝負するのでなく、“そういうことにしておきたい”と感じる気持ちがあることのほんとう、を逃さないこと、で勝負したいという気分。ちょうどよく“冴えてる”かんじの認識/判断に着地させて得る〈知的さ〉に甘んじないこのような姿勢は、作品にグダグダな、バカっぽい表情を与えるかも知れませんが、それは幾多の映画における諸々の映像や言葉が結局のところ、独自でナイスな己の〈思想〉や〈前衛性〉や〈知性〉や〈センス〉を提示するという作り手の自己実現に還元されてしまう“貧しさ”から逃れようとすることに由来しているとおもう。

かつての福間氏は、岡山において子をなさなかったし、〈国立大学の教師になったことで親を安心させ〉もしたし、結婚もし、詩人として再生しもした。しかしそれは人生のその時その時に「急にたどりついてしま」ったようにして不確かな確信のうちの認識/判断によって「とりあえず」「あえて」選びとられてしまった交換可能だったかもしれない人生の刻印なのだった。〈「とりかえしのつかない夏」/たとえばそれを何べんくりかえしてから/ぼくたちは出会ったのだろう〉。寄る辺ない、カウンターするにも依拠するにも規範のないなかで「あえて」「とりあえず」生き、「急にたどりつい」た人生で生じた「物語」に常に付着するようにしてある、交換可能な「物語」。それを「選ぶ」という“手つき”が、ひとつの物語だけを選択し作品化することの居心地の悪い不自然さのなかで、かろうじて見つけることの出来るリアル(=ほんとう)だと、『岡山の娘』という映画はその出発点から告げる。(『岡山の娘』という映画は、そのような「根拠の薄弱感」の弱々しさに意識的に支配されているのではないでしょうか。この物語自体、「岡山」という土地を舞台でなければ成り立ち得ない物語ではないし(福間「岡山がどういう土地だってことじゃなくて、大阪と広島のあいだにこういうとちがあるってことを出せばいうと思いました。(略)どこでもよかったんじゃなくて、ここにみづきはいるという現実ですね。」)、冒頭のナレーションが「スペイン語」で語られなければならなかった絶対的な理由もなく(父・信三が放浪していたという土地の言葉のひとつですが)、そもそも当初は智子役だった西脇裕美をみづき役にコンバートせねばならなかったのも純粋に制作途上のトラブルからであって、役と役者の結びつきが絶対のものであるような信仰からも遠いところにある。)

〈なにかを置いたままにして〉いたのは、交換可能な選択肢としての、“わたし”の「物語」なのだった。

4.
“若さ”を失うということが、人生の審美や感じかたが、次第にある一定の方向に収斂してゆき、だんだんと人格が保護的にオートマチックに作動してゆく割合が増えてゆくことだとすると、他の硬度や質感をもつ審美/リアリティと接するたびに、その都度(確固たるものと思われた人格の総体が)脅かされるようにして変質を被る、ある意味“即興的に”人格を形成する境界の振動が繰り返されることが“若さ”の顕れだということになる。
そのたびごとに、「成功」や「維持」への「最適化」(つまり「傾向と対策」的な姿勢)とは無縁な振動を更新することは、愚かな、バカっぽさとして、「置きにいく球」で「とにかく成功したいだけ」のゲーム参加者からは侮蔑の対象とされることかもしれません。しかし個人的には、ゲーム上での最適化などというしみったれた作業を、わざわざ出かけて行ってスクリーン上でみたいとは思わない。

『岡山の娘』の福間健二は、誰かの敷いた(承認されるという)レールに無自覚に乗りはせず、原初的なところから、音/映像の関係、言葉/発声/意味の関係、自然物/人工物/人物が映るということの関係を捉えなおし、その異質なモノとモノの関係を融合的にではなく、その関係の摩擦の感触を抽象的なイメージ(既存ゲーム参加の観客との共有イメージ)に還元しないように一歩一歩確かめながら掴もうとする。女優でも素人でもなく、娼婦でも母でも少女でもない<女性>がそこには存在し、川とそこを流動する水は、何かを象徴するでもなく、画面を審美的に活気づかせるためでもなく、唯物論的に存在を誇示することさえなく、ただ人々の住む土地の傍らを今日もきらきらと流れる。言葉は物語を、フィクションは世界のかたちを、視線は感情を、“必ずしも”「説明」しない、飼い馴らさない、着地させ輪郭を鮮明にしない。
“何か”を媒介としない不用意さは、「自己実現」とも「事前イメージの追認」とも異なるイメージを現前させ、そこでは異なる感触をもつ複数の「リアル」が、収斂を拒んで触れ合い、その摩擦が、即興的な振動として、ひとつずつ「人生」の「経験」を刻む。それらの提示が「知的遊戯」に陥らないところに、『岡山の娘』の未来性があると思った。

なんだか概念的に話が進んでしまっていますが、『岡山の娘』の“若さ”は、そうした観念的に捉えられる側面を別にしても、はっとするほどの瑞瑞しさを誇っていて、端的に、「映画を撮る」、その喜びに溢れている映画だと感じられます。
若い女性を、正面から斜めから、堂々と、まじまじと、キャメラを媒介として淫するように見つめることの喜び。風景や人物をカッチリとした構図におさめることの嬉しさにふるえる姿勢と、ルーズな構図で動作や風景を追うことの愉しさとが共存する。繋がらないモノを繋げることの歪さにたのしみつつも、だからといって古典的なつなぎの快楽もイデオロギー的に放逐しはしない。B班の撮った映像を組み込むことや制作の過程で出来する様々な障害や状況の変転を、<私>がひとりで特定の中心的イメージに作品を収斂させてしまうことを妨げてくれる「他者」と出逢う喜びとすること。(『岡山の娘』における詩人、小説家志望の女子、映画(シナリオ書き)青年らは、<現実>の事件/身近な人々からの反射を受けて(接続をもって)、世界との摩擦を条件とする言葉を紡ぐ。「作品」の、<世界>への接続は、「自分ひとりで考えた」ことからは決して生じないことを、登場人物たちは知っている。現在や世界との接続性をもたない消費的な「審美」に閉じない、この映画におけるクリエイターたちは、幾重にも重なる質感の異なるリアルの感触の有機的な繋がりとして、人生を生きる。)
そのようにして、つっかえ、つっかえながら、他者の「リアル」と接触を繰り返してゆく、人生の軌跡のように。『岡山の娘』は、「承認/自己実現」ゲームとは意識的に距離をおいた、閉塞を突破する“娯楽映画”だとおもった。
福間健二は世界を肯定する 
「すぐれた文学は読む人を励ますものだ」という大江健三郎の言葉を思い出す。