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中国、わがいたみ
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『中国、わがいたみ』に投稿された感想・評価

5.0
「中国、わがいたみ」

〜最初に一言、超・超絶傑作。今まで見てきた中国映画全てを凌駕するかの様な文革を捉え、今年観た旧作ベストテンに入る淡彩で描かれた文革の嵐である。フランス資金で撮られた仏滞在の中国人監督が訴える、人間の尊厳と個性を真っ正面から描いた新人ダイ・シージエが撮った最高傑作である。仏資本ではトラン・アン・ユン監督のベトナム舞台の「青いパパイヤの香り」を観た以来の衝撃である。未来永劫中国で上映されることのない中共批判映画である。この映画は一刻も早くVHSからソフト化するべきである〜

本作はダイ・シージエが一九八九年に監督した幻の中国映画として名高い本作をようやくVHSで見つけて高額で購入したが傑作だった。今回見るのが初めてだったが、これは当分、円盤化される事はないだろうと思わせられる共産党反対映画である。どうやら仏資金でフランス、西ドイツ 製作の映画で、原題は「牛棚/CHINE MA DOULEUR」で、文化大革命期の中国を舞台に、犯罪者として山奥の更生センターに送られた少年の姿を描くドラマで、「子供たちの王様」の陳凱歌(チェン・カイコー)や「紅いコーリャン」の張芸謀(チャン・イーモウ)「盗馬賊」の田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)や「晩鐘」の呉子牛(ウー・ジニウ)など、数多くの中国映画を見てきた自分にとって、その青年時代を文革の嵐にもまれて育ち、後に当時の体験の意味を真撃にといつつ世界的な注目を一身に集める秀作を連打してきた中国第五世代監督たち。この同じ世代から、また一人、驚くべき才能が居たのかと思い知らされるほどの作品だった。

といってもこの映画を中国映画と言っていいのかは定かでは無い。なぜなら上記で説明しているように、監督が中国の大学を卒業後、留学生としてパリ大学及び高等映画学院に学んだ彼が、フランス資本の下に撮り上げた純然たるフランス映画だからだ。映画のさわりだけ説明すると、舞台は文化大革命末期真っ只中の中国で、ある田舎町の十三歳の少年が、禁止されている昔のラブ・ソングのレコードをかけたいと言うだけのことで人民の敵扱いされ、犯罪者として山奥にある更生センター(牛小屋)に送られていくのだ。そこでは自分の罪状を大書きされた紙帽子をかぶされた数多くの犯罪者たちが、諦めきった表情で日々の単純作業をこなしているのだ。この少年もまたー度は脱走を試みたものの失敗し、以後、従順規律に従う日々を過ごしていくこととなる。

もはや彼は人間としての希望も欲望も忘れ、単なる牛同然の存在に成り下がってしまうまでの物語である。これを聞くだけでもなんとも惨たらしい映画だなと感じて、かれこれ数十年間ずっと観たかった映画で、VHSを毎度探していたがどうしてもこれだけ見つからず、先日夢のような出会いに遭遇して、高額だったが速攻で購入した。フランス資本と言えば、ダイ・シジエ監督は当初この映画を実際に中国で撮影するつもりだったそうだ。ところが中国政府のあまりの対応の遅さと脚本審査の結果、断念したそうだ。当たり前だと思うが、こんなものが中国で上映できるはずもない。奇跡的にもピレネーの山脈地帯に中国そっくりの風景を発見し、そこで撮影されたのが本作。したがって登場人物たちも、大部分が在仏中国系カンボジア難民から選ばれているそうだ。

文化大革命の犠牲になった一人の少年の姿をパリ在住の中国人が描いた作品と言うと、どうしても文化大革命を正面切って批判する声高なタッチが連想されてしまう。しかしそうしたスタイルほどこの映画とかけ離れたものもないと感じる。本作は、厳重な監視や包囲の下に置かれているわけではないのに誰もが規律を守って日々の労働をこなしていく、悲劇とも喜劇ともつかない奇妙な状況の中で生きていく少年の姿を、極めて抑制の効いた簡潔なスタイルで描き出していく。その静謐な作風が発表されるなり世界の注目を集め、八十九年度カンヌ映画祭監督週間に正式出品されたほか、フランスの新人監督の登竜門であるジャン・ヴィゴ(フランスの若手監督で、早死にしてしまった人である)賞の栄誉に輝き、ロカルノ映画祭では特別表彰、フィレンツェ映画祭でも審査員特別賞を受賞したそうだ。

この作品は既にフランスを始めイギリス、西ドイツ、オランダ、スウェーデン、カナダで公開されたほか、イタリア、スイス、香港で公開がなされていったようだ。またニューヨークで開催された新人監督、新作映画祭でも絶賛を博したそうだ。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。

さて、物語は一九六六年、文化大革命の嵐が吹き荒れる中国の田舎町。純粋無垢なー人の少年が突然人民の敵として捕まる。彼の名はティアン・ベン、ニックネームはメガネ小僧。十三歳である。罪状は党への侮辱行為となっていたが、実際のところ彼の犯罪とは単に、近所の少女の気を引くために、禁止されている昔のラブソングのレコードをかけただけのことだった。メガネ小僧は、牛棚(牛小屋)と呼ばれる犯罪者たちの更生センターへ送られる。荒涼とした山の奥にあるこの牛棚には、紅衛兵の姿も、鉄条網も塀もないのに、誰もがあきらめきった表情で、自分の罪状の書かれた大きな紙帽子をかぶり、日々の単調な労働をこなしていた。ここでは、所長と呼ばれる男もまた犯罪者である。

メガネ小僧は、肥運びなどの重労働や粗末な食事に耐えきれず、脱走を試みる。だが、この山奥からは逃げ果せるわけもなかった。牛棚に舞い戻ってきた彼を待っていたのは、「新入りの儀式さ」と言う冷たい視線だけだった。そうした中、メガネ小僧は二人の仲間に親しみを感じ始める。十五歳のスリ少年、ベイ・マオと口のきけない道教の老師である。老師はよく、仲間たちとは離れた岩場で、野生の人に鳩に囲まれている時を過ごしていた。ある日、所長の意地悪で片方の靴を燃やすされてしまった老師は、黙然としてそれを受け入れ、以後、片足を裸足で過ごすのだった。ある晩、曲芸団の一行が訪れ、美しい女性の踊りや皿回し、おいしそうな北京ダックを披露する。子供のようにはしゃぎ、われがちに北京ダックに手を伸ばす収容者たち。

だが、曲芸団は村を間違えたのだった。相手がほかならぬ人民の敵だとしるや、彼らはそそくさと引き上げていく。涙ぐみながら舞台を見つめていた芸術家はその夜、脱走を図った。翌日、ずぶ濡れで戻ってきた芸術家は、みんなの笑いものになった。腹いせに彼は、通路に釘を仕掛けメガネ小僧がその犠牲となった。怪我をしても治療を受けられず、血を吐いたりまでしたメガネ小僧は、仲間たちからペストだと誤解され、外に放り出される。そんな彼を救ってくれたのは老師だった。ある日、所長の計らいでメガネ小僧とスリ少年は街へ買い出しに行けることになった。二人はおいしい食べ物をたらふく食べる。だが、食べ過ぎがもとでスリ少年はあっけなく死んでしまう。運び出されていく棺には、罪状の書かれた紙帽子が忘れることなく添えられた。

一方、所長に誤解され、可愛がっていた鳩を皆殺しにされた老師は、自殺を図る。メガネ小僧が発見し、一命は取りとめさせた。しかし、口が聞けないはずの老師は、看病するメガネ小僧に突然語りかける。「私を助けてはいけない。殺してくれた方がどんなにいいか...」。メガネ小僧は老師の願いを叶えてやり、再び牛棚を後に出発する。老師と同じように、片方の靴を脱ぎ捨てて…とがっつり説明するとこんな感じで、一言で言うなら大傑作。これ当時日本ではシネマスクエアにて上映されており、監督もどうやら来日しているみたいだ。早くソフト化してほしいものだ。主なキャラクターは八人いて、主人公であるメガネ小僧ことティアン・ベンで、彼の父は右派として死に、母も人民の敵として囚われの身で、反党的なレコードを聞いた罪で牛棚に収容されている。

続いて老師である。彼は口を聞かず、一人岩場で鳩と過ごす。昔からの風習や薬草に通じ、メガネ小僧が血を吐いた時も治してくれていた。そして所長である。牛棚の指導者であり、彼自身も罪人で過失致罪で収容されている。所長の地位をやたら誇示したがるのだ。続いて自炊係で牛棚の厨房を任されていて、所長の子分格である。そしてスリ少年ことベイ・マオだ。彼はメガネ小僧が等しくなる気の良い少年で、隠れてトランプで遊んだり、所長にいたずらを仕掛けたりする。そして芸術家である。彼は愚痴っぽく小心者で、臆病者と陰口を言われたりしている。曲芸団が来た夜、脱走計ってしまう。続いて教授である。手鏡を持ち歩き、身だしなみには人一倍気をつかう。毒芋事件やペスト騒動の張本人でもある。最後に笛少年。彼はモーツァルトを吹いているのを所長に咎められるが、とっさの機転で切り抜ける。スリ少年亡き後、メガネ小僧の親しい友になる…とこれらの人物たちが重要な役割を果たしている。

この若い監督は、フランス映画監督としてデビューをし、その第一作で彼が描いたのが、愛する祖国中国であり、同胞である中国人の姿であり、そしてさらに中国人である自分自身の心の思いについてである事、ところが祖国は今あまりに遠く、そこでは撮影ができず、ピレネーの山岳地帯に深くこもって、在フランス中国系カンボジア難民の俳優として素人の人たちとともに、この映画を取り上げたと言う信念には拍手喝采である。遥か彼方から中国への切実な思いが、この映画にはある。彼の祖国中国への愛を焼き付けたワンカット・ワンシーンの中にユニークなものがあり、非人道的だった文化大革命の最中を生きた中国の普通の人々が物語の主人公であり、人間としての尊厳を守っていかに戦い、生き抜いてきたかを問う作品であった。

この映画の画期的なところは、残虐行為や激しい戦いが一切なく、むしろそこから離れており、無気力な人間生活を山の奥の牛棚と呼ばれる強制労働による更生を目的とした収容所で少年の目線から描かれているのだ。その過酷なシーンだけではなく、ユーモラスな日常の暮らしの描写が淡々と描かれており、歪められた人間関係の不幸を切り取り、政治との関わりをなくす彼らの権力闘争とは無縁な人生をー部では映していると思う。自分の国の人間の物語を他国で撮らなくてはいけない現実、普遍的な人間の幸福についての真実を導き出していく若々しい映画人による真に勇気のある映画を今まで見たことがなかったが、この映画で決まった。無抵抗主義を貫いてきたとあるキャラクターの最後の表現の仕方、影絵アニメで表現するシリアスなシーン、劇映画的にうまく捉えている。確か映画監督の大林信彦は本作を日本で見た後に、「北京的西瓜」と共に、ニューヨークの映画祭に出席してこの映画を見て非常に感動したと言っていた。

そもそもパリで映画を学んだ中国人監督によって撮影されたことを鑑みると、ブニュエルもメキシコに行き撮ったり、フランスで撮ったりフリッツ・ラングがハリウッドで撮影したりタルコフスキーがイタリアで撮影したり、黒澤明がソ連で撮ったり、黒沢清がフランスで撮ったり、大島渚がフランス資本で映画を撮ったりと国境越えていくのだ。すでに文革を題材にした映画と言うのはそれぞれの世代の監督が中国でとっており、様々なイデオロギー闘争の中、受難者たちの悲劇を捉えてきた。そういった中この若き監督は全くもって違う文革を描いているのだ。何が違うのか、収容所に紅衛兵がいないのだ。もっと言えばそこに権力が君臨せず、支配者が見当たらないのだ。なんせ、そこを統括している所長でさえ、囚人なのであるのだから…。

わかりやすい表現方法で言うなら、ナチス・ドイツの映画と比較するとわかりやすいかもしれない。最高権力者であるアドルフ・ヒトラーの命令のもとで、そこの収容所を管理する所長などはいわば、ヒトラーの分身であり、彼が権力を持ちユダヤ人たちを虐待してきたと言う具合に、この映画では例えば人民の敵であるこの収容所の所長は、当時の中国の権力者の毛沢東の分身とは言えないのである。ポーランド映画のワイダ作品やアンジェイ・ムンクの映画などを見てもわかるように、そのような高い塀や鉄条網、監視塔といった外部と内部を厳密に隔てる境界線も存在していないのだ。これを言うと中身に触れるためあまり言えないが、数人は脱走する。しかし必ず戻ってくるのだ。考えてみて欲しい、米国映画でも色々と大脱走する映画はあるが、街に行って米を買いに行かされると言う事はまずないだろう。

絶滅収容所に行かされたユダヤ系の人が街に行って買い物すると言う事ができることもなく、しかしこの映画ではそういった下りがあり、それを買い出しに行かされた若者たちはそこでおいしい食事を食べようとする欲望に駆られるのだ。そもそも自らの意思でこの収容所に戻ってきてしまうところがこの映画の驚きである。見方を変えれば、こういった場面は中国共産党のプロパガンダに使われてしまう恐れもある。ある程度の自由があるからこそ収容所に戻ってこれる人民がいて、おのずと反共的な人物たちを更生していく方法としては誠に良い方法なのかもしれない。中国共産党と言うのは五〇年先を見据えて国家プロジェクトを作っていく民族であり、サラミス戦法と言う言葉があるように、少しずつ、少しずつマインドコントロールしていくのである。そして現状維持に達するのだ。これが今の南沙諸島であり、南シナ海、今後の尖閣諸島、台湾、沖縄だろう。


さてここからは、この映画の印象的な部分を話していきたいと思う。冒頭の共産党のプロパガンダ宣伝の声とともに、まるで「ドラえもん」ののび太くんのような丸メガネをしている小僧が、気になってる女の子を振り向かせるためにラブソングをかける場面は印象的である。その後にそのレコードを金槌でぶっ壊す描写、巨大な紙で作られた帽子をかぶって、人民の目の前で家庭環境を無理矢理言わされるシーンなど強烈である。山に汚染物を背中に背負って運ぶ場面の蝿の音などを聞くと生々しく感じる。それに粗末な飯を労働者がみんな食べている静かなシークエンスも非常に引き込まれる。と言うのも、めがね小僧がご飯を捨てているからだ。彼曰く、食べられないものが入っているからと言うが、規律のルールでは、誰かがご飯を捨てればみんながそれを拾ってひと口ずつ食わなくてはいけないと言ういじめが発生する。その少年は泥だらけのそのご飯を食べるのである。

そして革命的曲芸団が村を間違えたやってきて、それまでほとんど無音だった映画に音楽が与えられ、みんなが万歳する場面はいかにも中国的である。そんでみんなと写真撮影をするからと言うことで、身だしなみを各自チェックしろと手渡された手のひらに載るほどの小さな鏡をみんなが数秒ほど見てどんどん次に回す場面も笑える。ほとんど身だしなみチェックなんかできていない。そして毛沢東の横顔が印刷された巨大な看板を背景に、さら回しなどの曲芸が始まる。そんでそのさらに北京ダックが載っけてあり、それごと皿を回すのだが、飢えているここの労働者たちはみんなが手を伸ばしてその北京ダックが落ちる瞬間を待つが、残念ながら皿から北京ダックが落ちない。

何か仕掛けがしてあるようで、普通だったら確実に皿回ししていてその上に北京ダックが置いてあったら落ちるのにそれが全くなく、最終的にはここは目的地の村ではないと言うことが、ばれてしまいそのまま去っていってしまうと言う惨たらしい北京ダック結局食べられなかった騒動が観客に見せられるのだ。そして続いてが、仲間の一人が馬鹿にされたのを仕返ししてやろうと釘のついたいた板を地面に仕掛けて、それを踏んでしまうメガネ小僧が痛がり、作業中に口から血を吐いてしまったのをペストと勘違いして、彼の地獄が始まっていくのだ。先日見たばかりの家城監督の「みんなわが子」のような集団疎開をテーマにしている、集団となると、人間はろくなことをしないなとつくづくこの映画からも伝わった。

それにしても再教育と言うことで、山奥に連れてこられたとある集団の姿を見ると、今の中国がウイグルやチベット、内モンゴル自治区にやっている弾圧はもっとすごいものなんだろうなと思ってしまう。昔に王敏監督の「収容病棟」と言う映画を見たが、あれは脳裏に焼きつくドキュメンタリー映像だった。それと影絵芝居がこの映画に出てくるのだが、張芸謀監督の「活きる」を思い出す。そしてこの収容所の奇妙な秩序を保っているものこそが、すでに茶番めいた悲喜劇的な要素を帯びており、本来は囚人であるにもかかわらず、自己を権力と同一視する所長は見ていて笑える。映画評論家の鈴木布美子氏がシジエ監督は、留学中のフランスでルイス・ブニュエルの作品を見てそれまでは知らなかった映画の力を確信したと言っていた。

この映画を見てつくづく思うのが、中国の文化大革命は20世紀の人類史に永遠に忘れることのできない記記録として残り続けるし、ヒトラーのナチズムと並ぶほどの巨大な歴史的事件である事は言うまでもない。チェコ映画でヤン・ニエメツの初の長編デビュー作で、私のALL TIME BESTに君臨し続ける大傑作のナチズム映画「夜のダイヤモンド」と言う作品があるのだが、収容所から逃げてきた若い少年二人が森の中をひたすら走って逃げ惑うと言う映画(既にレビュー済み)で、こういった文革がナチズムがそうであったように、子供たち(少年)たちにも一切容赦なく巻き込む巨大な政治運動だったんだなと思わされた。この映画の主人公メガネ小僧もそうであるように、彼の年齢設定を十三歳にしたのはきっとこの映画の監督者であるシジエも文革が勃発した一九六六年にはまだ十二歳だったからだと思う。あの主人公と自分を少し重ねたのではないだろうか。

ナチズムの時代、文革の時代、そこに生きた子供たちは他人を殺すと言う仕事もさせられる。殺害と言う事柄について、この映画にも実はある。深くは言及はしない。誰が誰を殺すのか、なぜそういったいきさつになったのか、それはネタバレになってしまうからだ。だがこの映画を自分が見終わった際に、ナチズム、他の文革映画とは違って子供たちが誰かを殺す事はなかったなとふとエンディングを見ながら思ったが、振り返ってみると、いや違う実は殺害しているじゃないかと思い返したのだ。なぜエンディングを見ている時まで忘れてしまっていたのか、それはきっと殺害は殺害でも〇〇だったからかもしれない。しかしそれは〇〇の〇〇からしたらあまりにも重い出来事だったのかもしれない。そうそう、まだ話し足りないことが多くて、話が長くなってしまうのだが、先ほどこの映画には鉄条網もなければ監視員もいないと言ったが、よくよく考えてみれば相互告発と相互監視の力が働いていたんじゃないかと思ってしまう。

互いが監視しあい互いが告発すると言うまさに地獄のような空間での物語だったのかもしれない。そもそも映画のタイトルが"牛棚"と言う漢字を使っている分、中国人に対する観客を想定している部分も見てとれるのだが、この日本語で言う"牛小屋"と言う意味を持つ本作は、他人から人間として扱われない人々がどこまでも尊厳を完膚無きまでに奪いとられてしまうと言う奴隷制も汲み取っていて、一見他の文革映画と違って穏やかな時間の流れがあると思い込みがちだが、実はそうではないと言う恐ろしさも後々遅ればせながらやってくるのだ。それにしても文革時代の中国は、とにかく森だったり砂漠だったりと人々をーカ所に集め集団生活をさせることが多かった。ワン・ビン監督の「無言歌」と言う作品があるのだが、あれもゴビ砂漠を舞台にした収容所ものだった。

チェン・カイコーがパルムドール(誰かと同受賞していたと思う)を見事に手にした傑作映画「さらば、わが愛/覇王別姫」と言う映画があるのだが、その作品も国の中の同じ中国人同士が敵であると正義の暴力を加えていたが、人々が自分の家族や親友あるいは恋人までもを売り渡し、虚偽の告発を行った心理は果たして一体どんなものだったのだろうか…私には想像がつかない。

そもそも文革の時代は、米ソ二大国を敵に回したことによって人民たちが文革を味わうと言う悲惨な時代へと突入する要因のーつでもあると思うのだが、当時、米国はベトナム・インドシナで猛烈な戦争をしていたし、ブレジネフ時代に入ったソ連も世界制覇をまだ捨ててはいなかっただろうし、第三次世界大戦が核戦争(キューバ危機)と言う形で勃発すると思った当時の人々も多くいたはずで、ソ連が本気で中国に対し核兵器を使うと言う検討をしていたと言う話がある中、対外封鎖の体制を取らなくてはいけないほど中国の現状もあったわけで、警戒態勢を国内に強める結果と言うのは、中国人同士の中に敵を探す傾向を生み出してしまった要因なんだろうなと思う。結局文革が終わったところで天安門事件が起きてしまい、中国が今なお当時の悪夢から目覚めていないんだろうなと言う事実だけが浮き彫りになっていく映画でもある。

それは二十一世紀になっても、チベット、ウィグル、内モンゴルそして香港でも起きているので、この映画は現在も生き続けている。アジア経済研究所主任研究員の加々美光行氏は文革の犠牲者は二千万人以上だと言っていた。国家の権力によって支配されているのではなく、人民の自主管理で支配されているのだからこの映画はつくづく怖いのである。ソ連のように警察力で管理するのではなく、人に人を管理させると言う歴史が中国共産党にはあるためか、人を信じられない中国人が多くいると言うのはまさにこのことだろう。だから騙し騙されるのだ。話はこの映画の音楽について変わるが、ほとんど静かに進む映画で、ロジックよりシンボリズムで描かれている本作は、オカリナのモーツアルトがすごく耳に印象残す。やはりヨーロッパの映画に見出された監督は、叙事詩的で自然の静けさや美しさにも力を入れていて、所々詩的で民話的なエッセンスがちりばめられていた。


最後に余談だが、この映画は監督のとある部分の自伝的な要素が入っており、自分が体験したものといえば、レコードの場面はそうらしい。それと牛棚の話を具体的に説明していたのだが、牛棚は職場に必ずあるもので、職場によって様々な形態がなされているようだ。学校の牛棚には必ず紅衛兵が管理していて、街中の工場にもあるし、山奥の農場にもあって、そこの人たちが管理しているそうだ。もっと重い罪を犯した人民の敵には刑務所があり、牛棚は人民の手による更生機関だそうだ。文化大革命の大混乱の産物と言うしかない。監督は中国政府と二年間交渉をしたらしいが、脚本が審査を通らなかったそうで、中国側は道教の僧を出すな、鳩を殺す場面を出すなの二つを要求したそうだが彼は拒否したそうだ。うーむ、わからないことがあるのだが、中国では道教の僧など宗教家が中心的人物として描かれることが許されないのはもちろんわかるのだが、鳩を殺すなと言うのはなぜ駄目だったのだろうか?誰か知っている人がいたら教えて欲しい。牛棚を描いていても実は中国社会を描いているわけで、文化大革命に対する共産党の見解とは少しずれているから中国本土での公開はやはり不可能なんだろう。

このシジエと言う監督結構毒舌で、とあるインタビュー記事を探して読んだのだが、この映画の撮影者に選んだユモーという人物はスレイマン・シセ監督の「ひかり」(傑作なのにいまだにVHSのみ)を観て、ー番フランスっぽくない画面だったので起用したと言っており、その次にフランス映画は好きじゃないからと言っている。性格的にはイタリア映画、フェリーニ、スコラ、リージ、エットーレなどが好みで、イタリア映画はなんとなく中国映画に近いものを感じると言っていた(多分騒々しい感じだろう)。だから劇中の曲芸団たちの山車が「フェリーニのアマルコルド」に登場する大型客船レックス号さながらだったんだなと思った。かなりフェリーニに溺愛していると思われる。日本では大島渚、新藤兼人、小栗康平などが気になっているものの、自分が作りたいものとは違うと感じているようだ。もともとプロの俳優を使うとしたが、中国、台湾、香港、いろいろな映画を見てそれぞれにいい役者はいたらしいが、自分の作品のイメージにそぐわないと言うことで素人を使ったそうだ。

主演の少年は中国の広東から八歳の時フランスに来て住んでいる子供らしく、撮影の時は小さかったが今じゃ監督よりも背が高くなったそうだ。この作品は中国での公開の可能性について彼が述べていたことだが、ほとんど無理との事だ。制作交渉の段階でも、中国での非公開が前提となっていて、天安門事件があろうとなかろうと、現段階での公開は不可能だと話している。長々とレビューしたが、この傑作をぜひとも見てほしい。といっても配信もされてなければ円盤化されていないためビデオで見るしかない。もしかしたら字幕なしのYouTubeとかで落ちてる可能性もある(調べてない)。多分渋谷のTSUTAYAとかには置いてある可能性が(アジアコーナーに)あると思うが、今のところどこも取り扱っていない(ネット上では)。とにかく傑作であった。

あっあと、一九八四年にシジエ監督が中国で十六ミリ二十七分の短編「山寺」と言うのをとって、八十五年にベネチア映画祭に出品し、新人監督賞を受賞して本作の制作に対して、フランス側の援助金を得ることになり、八十六年にロッテルダム映画祭にも出品された短編映画がすごく見たい。
イシ
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仕事用つながりで見た

文革期中国がこんなに形式的でわかりやすい時代だったかはともかく、
当時、「マオ氏が全国民を飢えから救いました宣言」を信じることができてた人たちは共産主義に何を託してたんだろね
ダイ・シージエがフランス資本で撮ったデビュー作。ジャン・ヴィゴ賞受賞。本国での撮影が叶わずピレネー山脈で撮影を敢行したとか。
文革期の中国が舞台で、主人公メガネ君が初恋の女の子の気を引くためレコードをかけたところ、反革命分子として捕まり山中の更正施設へ収容される。しかしそこで待っていたのは強制労働がありながらもスローで平穏な日常。
監督のパーソナルな望郷への想いに鋭く肉薄した作品を期待していたので、ラストの自由の灯火を追いかける姿もどこか空虚に感じてしまった