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わが母の記のiのレビュー・感想・評価

わが母の記(2011年製作の映画)
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特別評価が高い作品ではないが、大変素晴らしかった。

八重役は松竹が希林さん、原田監督が高峰秀子さんか京マチ子さんを希望していた。結果的に松竹に説得され、希林さんへオファーを出した。しかし希林さんからの回答は「出番の多い八重役はいや。チョイ役のおぬい婆ちゃならやってもいい」ということだった。おぬい婆ちゃんの回想シーンはカットすることになっていたため、原田監督とプロデューサーがふたりで希林さんを説得に向かった。そこに現れた希林さんをみてふたりは顔を見合わせた。どう見ても八重さんの扮装なのだ。七面倒な説得を突っぱねるかのような、偏屈スピーディーの変わり身だった。と原田監督談。希林さんファンの私にとってこの選択は非常に良かったし、結果論ではあるが皆さんも希林さんで良かったのではないかと思う。

何度も笑ったし、数回涙した。八重(樹木希林)が、洪作(役所広司)の詩を読むシーン、酒場?に迷い込んだ八重の願いを叶えるためにクールなダンプ男(橋本じゅん)が一肌脱ぐシーン、紀子(菊池亜希子)がハワイへ旅立つ一連のシーン、八重が亡くなり、志賀子(キムラ緑子)夫妻への感謝を述べるシーンなど。

瀬川(三浦貴大)がいい奴だと私が思っていたからなのだろうか。琴子(宮崎あおい)の彼氏になった瀬川を洪作が認めているシーンがとても気に入った。

それと洪作が八重と琴子に再会する沼津の海がとても綺麗だった。縁側のようなところで電話しているシーンも美しい。これが実際の井上邸なのだろうか。素晴らしい屋敷だ。伊豆市や沼津市の全面協力があったそうで、ロケ地も美しい。八重の誕生日パーティーで、ロビーと部屋を勘違いしていた八重と洪作がふたりで会話をするシーンの洪作の姿を感じられる程度の明かりと八重の顔を照らす月光が美しい。

エンディング曲も「これぞ映画!」というような雰囲気で、自宅ながら映画館を感じた。

今からこの作品を地元の家族へ推薦しようと思う。まだ二世帯のおばあちゃんは健在だし、孫となる姉も住んでいる。

小学生の頃に恋をした宮崎あおいさん。幼少の頃は何者か分からず、CMの化け物だと思っていたが、いつの間にか人生で一度お会いしてみたいと願っていた樹木希林さん。そしていつ認識したのかは分からないが、初めから名優だった役所広司さん。勿論上記お三方以外のキャストも本当に素晴らしく、原田監督ご自身も「わが作品ながら、この映画のアンサンブルキャストは本当に見事だと思う」とおっしゃられている。まさに見事。この作品に参加できたら私はさぞ幸せだっただろう。クランクアップ翌日の2011年3月11日の私は当時まだ高校生で東日本大地震を体験していたが。この作品のようないつか自分の好きだと思える作品に携われたらいいな。

最後に自分がこのレビューとは別でまとめていた希林さんについてのはなし。

樹木希林さんがなぜあんなにも自然な演技ができるのか。長年の疑問。当事者に直接話を聞いた訳でもないし、実際お会いしたこともない人間の勝手な考察でしかないけれども、それは芸能人として生きるのではなく、ただ普通の、ごく普通の我々と同じ庶民の生活を実際に過ごしていたからだと思う。それは幼少期の実体験や記憶ではなく、役者として成功してからも続いていたはずだ。というかそうなのである!…恐らく。そして我々庶民よりもより人間らしい生き方をされていたのだと思う。

イグナシオ・フェレーラス監督のアニメーション映画「しわ」を観た彼女が語ったインタビューに、今みんなが、アンチエイジングっていうのをいろいろ頑張っているのを見ても、まぁ私自身、そういうことに興味はあるけど、「なるほどねぇ、それが結果どうなるのかね」っていう、そういうふうな興味なの。だから、白髪になっても、それでよし。老眼になったら、まぁそれもよし。もう全て「あっ、なるほど、こう来たか」という感覚で老いてるんですけれども、「老いに対して抵抗しないという老い方」を、私は自分でやろうとしてるわけなのよ。(『熱風』2013年6月号、スタジオジブリより)と語っていた。ああ、なるほどなと。こんなにも人間らしく生きている人は、世界中を探してもそういないだろうと思った。女優という(希林さんご自身は、女優ではなく役者とよくおっしゃられていたようだが)職業ならば、普通は尚更、老いに抗うものだろうに。内田裕也さんの決め台詞が、「女優の末路はあわれだぞ」だそうで、「お前、女優を見てみろ。華やかなぶんだけ、どういうかたちであっても、「幸せねえ」っていうところにはいかないぞ」とのことだが、希林さんはそうではない人生を過ごされたのではないかと思う。

話が少し脱線したが、浅田美代子談に、何をやっても心があるんですよ。だから、どんなにおかしい芝居をしていても、余韻が残るんです。もともと人を観察するのが好き、というか、ニュースを観ても、バスに乗っても、自然に人をみているのが好きで、それが演技の引き出しになっていた方なんです。そして「人として普通でいなければ、普通の人の役はできない」と、よくおっしゃっていました。人として普通に電車に乗ったり、料理をしたり、そういうことが普通にできないと「カタチだけになってしまって、芝居に嘘が出る」って。とある。まさにそういうことなんだなと。バスに乗っていた老婆が、次に演じる役に適していると感じ、そのまま老婆が暮らす老人ホームまで後をつけたり、台本や原作を読み、衣装をご自分で用意なさったり、小道具もよりご自分が自然だと思うようにつけなおしたりと本当に人生の全てが芝居に直結している気がする。これまた浅田美代子さん談だが、入院中、なんらかの処置をするというので、お医者さんから「席を外してください」と言われて、私が病室から出ようとしたら、希林さんが手を差し出すんです。それで、「ばぁば、はい」と言って、筆談用の紙とペンを渡しました。そうしたら「この子も役者の端くれだから、全部見せるの」って書くんですよ。お医者さんも「はいっ」という感じになって、私は「そんなの、別に見たくないよ!」と思いながら…何になるわけでとないけど、見せるのよ、って。とのことからもそう感じるのだ。

YOUさんが選ぶ一番好きなシーンは「歩いても 歩いても」(08)で、希林さんと台所に立つシーンだそう。そのシーンは自然そのもので、実際の親子のやりとりがそこにあるようにさえ感じる。そんなやりとりの裏には、希林さんが台詞を小気味いいように変えて、ご自分の生活してきた実際の経験のもとに動いている。それが経験できる昔ながらの普通の生活を過ごしてきているからこそ演じれる。全てが芝居に直結していている人生がそこにはあるのだと思う。まとまりませんでした!
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