レインウォッチャー

パプリカのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

パプリカ(2006年製作の映画)
4.5
悪夢に揺蕩うセイレーン。

他者の夢に入り込むことができる装置「DCミニ」をめぐる事件と策謀に、研究者の敦子、開発者の沖田、刑事の粉川といった面々が立ち向かう。

クリストファー・ノーランの『インセプション』('10)の源泉とも呼ばれる今作だけれど、観てみればなんとまあこちらの方がよっぽど「どうかしてる」。

言い換えると、より「夢」がもつ不定形さを正しく表現することに成功していると思う。
『インセプション』はあくまでも(疑似)ロジカルに、夢の設計士のような技能者を登場させたりして夢や無意識の世界をSFのテリトリーに落とし込んでいたけれど、今作は絶えず偶発性をもって増殖し変化していく感覚を圧倒的なイマジネーションで極彩色の世界に書き起こしている。
なんとなく、『インセプション』が直線で描いた図なら、『パプリカ』は曲線という感じ。(主観すぎるたとえで済みません)

また、その夢のもつ不可逆な拡張力が現実に漏れ出たらどうなるか、についても怒涛の展開を見せるのだけれど、昨今語られるようになったメタバースのような世界観と結びついて、今まさに追いついて得られる納得感があると思う。
真のプロトモデルは『不思議の国のアリス』だろうか。とにかく、こんな悪夢的サイケデリアが15年以上も前にこの国で完成していたとは驚くほかない。

映画としても、トリッキーな映像表現に終始するだけではなくストーリーもしっかり観られるものになっていて、「映画を撮ることの映画」を思わせる側面がある。
粉川刑事のトラウマを解明していくというのが軸のひとつになっていて、その夢世界は映画と重ねて描かれる。粉川刑事が過去のある経験から目を背けていた映画の世界に再び向き合って、ハンドリングできるようになったとき、現実の問題もまた解決し、彼は一歩前に進むのだ。

映画が夢の世界であるならば、現実で夢を叶えることは映画を具現化することと言うこともできるだろう。この作品からは、空想や物語が確かに持っている現実への影響力と、それを善用するも悪用するも人間次第…という作家らしく力強いメッセージを受け取ることができる。

しかし何より、そんな魅力的な世界をシメる決定的な一手、龍の眼は林原めぐみボイスに他ならない。
この木々の奥からうっすら聞こえる春の川の音、あるいは夜に街灯の下で漂う乳白色の香気のような声があってこそ、夢を飛び回るパプリカ / 敦子に手を引かれ導かれたい…と思わせるのである。