映画漬廃人伊波興一

停年退職の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

停年退職(1963年製作の映画)
3.6
マイナスとマイナスをかければプラスになる。
同様に偶然と偶然をかければ必然になる。

島耕二
「定年退職」

思いがけない出会いや別れが至る所で演じられている映画は文字通り(偶然)が気軽に活用されます。

しかし(偶然)こそ、実はとても危険な罠として機能しかねない場合がある事も私たちは充分に知っています。

作家にとって(偶然)を活用する事は作劇上で負債を抱え込むようなものです。

だから上映時間の間に債務整理をしなければ私たちの納得は得られません。

無計画な借り入れが嵩めば経済状態が破綻するように(偶然)を中途半端に活用し、痛い目にあった惨憺たる喜劇やメロドラマ、ミステリーが映画史にどれだけ生まれてきた事か。

負債を抱えたくないなら(偶然)を回避して自然な転がりを発生させるか、返済の目処を周到緻密に立てて(偶然)との戯れに徹した作劇を拵えていくか。

出来上がった映画が生きるか死ぬかに分かれてしまう極めて残酷な二者択一ですが数学に於いてマイナスにマイナスをかければプラスに転じるように、映画に於いては(偶然)に(偶然)をかければ(必然)に転じる不思議なエフェクティブが作用します。

小説を発表する前に数多くのラジオドラマ、戯曲、映画脚本を執筆した直木賞作家の藤本義一さん曰く(シナリオは計算の芸術だ)とありますが、「象を喰つた連中」(吉村公三郎監督)などを手掛けた名脚本家斎藤良輔さんによる傑作喜劇の数々を観るとその事がよおく分かります。

あまり知られていない島耕二監督、斎藤良輔脚本の「定年退職」もやはりそんな匠技を堪能できる佳作。

ただ惜しむらくは藤由紀子と本郷功次郎の接吻場面。
白い人工雪と真っ赤な傘のコントラストが実に見事ですが傘を階段に転ばせるべきではなかった。

接吻する二人の姿を赤い傘で覆い、私たちの視界から遠ざけてくれていたらどれだけ余韻深かった事か。