Jean

ペネロピのJeanのネタバレレビュー・内容・結末

ペネロピ(2006年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

2017.03.29 字幕視聴

現代版のおとぎ話
だけど、ヒロインが無条件に男性を愛すのではなく、
「美女と野獣」の逆バージョン

今までは誰かを愛し、
愛されることを“愛”と説いてきた

でも本作は
自分を愛する大切さを教えてくれる

少し奇妙な世界

そして、
自分らしさを求め/求めた先にあるもの
決断すること
といった生きていると
誰もが壁にぶち当たる問題を問ている



今の私は私じゃない と言っても
いつだって、私を違う私には変えられやしない

今の私は過去の寄せ集めで
出来上がったものなのだから

今の自分を否定することは
これからの自分を否定し続けることと
なんら変わらない

そして
偶然とか、奇跡とかそういうものって
今までの自分の決断の寄せ集めだと思う

諦めるのも1つの決断
諦めないのも1つの決断

何か自分を変えてくれる素晴らしい人や
きっかけや機会を人は期待し、待っている

登場人物の
ヒロイン、ペネロピ
ヒーロー、マックス(ジョニー)も
そんな人の1人だ




「出会いと運命」私を変えてくれるのはだれ?


マックスとペネロピのチェス中の会話

マックス
キングはまだ生きてる

ペネロピ
クイーンが死ねばキングは無力よ

マックス
どうして?

ペネロピ
さあ?
クイーンの死を悲しんで戦えないとか?

マックス
なるほどね

このシーンでは今までのgirl meets boy を
皮肉っているように思えた

女の子は男の子がいないと何にも変われないのよ

というある時代まで普遍的に思われていた
そんな物語や運命をさりげなく
否定している気がした

男の子だって女の子がいないと
悲しくて何にもできやしないのよって

この作品はboy meets girl とgirl meets boyが
同時に存在するわけだけど、
ペネロピもマックスも互いに影響を与え、受けている

だから、この作品は今までのおとぎ話とは
違うと言われるし、言えるのだろう


ゲームをしている最中、
マックスとゲームマスターとの会話のシーン

マックス
帰ったんじゃ?

マスター
帰って8時間寝たよ
子供に朝食を作って、女房にキスしてきた
次はあんたの番さ

これがマックスの自分を変える
きっかけとなった

この作品はこうした言葉のやり取りや花を
巧みに使って、主人公たちを動かしていく


本作でペネロピが見つけたクリスマスローズは
私にとって印象的な花となった

凍り付くような冬の寒さに耐えやがて来る春を待つ強い花

そんな花の花言葉は
「追憶」「私を忘れないで」
「私の不安を取り除いてください」
「慰め」「スキャンダル」「いたわり」

彼女の今の心情やこれからの未来、
彼女自身を語っているかのようで、
よく練られた構成だなと感心したと同時に
素敵な花だなと心に残った



ある決断や現象、出会いが
人の人生を変えてしまう

マックスが実は名もなき家のジョニーだと
ペネロピに言うこと

自分の障害/生涯を否定すること

自分をさらけ出すこと、受け入れること

誰かを信じること



ジョニー
呪いを作るのは僕たちの心だ

そのたった一言でこの映画のメッセージを
語れてしまうのかも知れない

家柄
醜い鼻
生い立ち
今の自分
過去の自分
母親の言動
周囲からの視線

どれ1つとっても、
これらは自分を呪いにかける口実に過ぎない

自分の呪いを解くためのきっかけをくれたのは
ジョニー

外に出て、自分を解き放つことの勇気を
与え、教えてくれた彼

そのきっかけを糧に決断をしたのは
ペネロピ自身

彼女は自分で自分の運命を変えたのだ

ただ、その障害に負けない意志の強さは
ジョニーと出会うまで、
ずっと彼女の中に隠れていた

そんな彼女の良さを隠していたのは
きっとペネロピの母だったのだと思う

障害を持つ人を
“直してあげよう”
“直してあげたい” と思うことは
その人自身を否定することだと思うから

私にとって彼女の母親は
彼女を1番に想っているようで
本当は1番、自分が可愛いと思う親なのだ

子供を死んだことにして、
世間から隠し、いつもいつも彼女を隔離する

ペネロピが1番愛しているであろう人に
否定され続けることの悲しさが
彼女の表情から読み取れる


自分の醜い鼻(アイデンティティ)や
周囲からのパーソナリティとしての
自分を受け入れることこそ

彼女の呪いを解く鍵であるのにもかかわらず

いつも呪いを作ってしまうのは自分

確かにそうだけれど、
生まれ育った環境によって
その人らしさは出来上がっていくのだと痛感した

でも、やっぱり自分を変える、作っていくのは
自分でしかないのだと

自分にかけてしまう呪いは
今を大切に生きれなくする
窮屈にしてしまうものなのだと思う

未来ばかりを見つめてしまうことで
今を生き生きとしていられなくなるのは
結局、生の消費に過ぎない

ただ生きているというだけなのだ

そんな生き方をするぐらいなら、
今を懸命に生き生きと生きたいと私は思う

こんな風に思っても、
人間は一貫性のない生き物だから、
きっと誰かにそれを宣言され、言われたら、
当たり前のように気づけることだと思う

けど、自分を見失ったり、
不安に思ったり、悩んだり、
わからなくなったりすると、
どうやって今を生きたらいいか、
時にはなんで生きてるのかさえ
わからなくなってしまうかも知れないけれど

辛い現実が目の前に立ちはだかった時に、
自分を受け入れ拒否したくなってしまった時に、
心から自分を信じられなくなった時に、
私はまたこの映画を観たいと思う
Jean

Jean