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白い花びらのnetfilmsのレビュー・感想・評価

白い花びら(1998年製作の映画)
3.7
 サイドカーにキャベツを積み込み、重量過多な車の後方には更に女が飛び乗る。白と黒のヘルメット、重量オーバーでぎちぎちの車に乗り込む2人の表情は随分と満ち足りた様子に見える。村の市場でキャベツを売る2人はこの貧しい農村で、慎ましく自給自足の暮らしを送っている。キャベツは朝に摘み取り、昼には新鮮な野菜を売り、夜は村の仲間たちと楽しく酒を酌み交わし、大声で笑い合う。こんな退屈な生活を何度ループしただろうか?やがて村にエンストを起こした1台の車がやって来る。乗っていたのはシュメイッカ(アンドレ・ウィルムス)という中年の男だった。主人であるユハ(サカリ・クオウスマネン)はこの車を修理したばかりか、彼を自宅に招き入れ、もてなそうとする。シュメイッカはこの家の離れで、ユハの美しい妻のマルヤ(カティ・オウティネン)に出会う。すすけた顔で客人を迎え入れる妻の表情は、一転して女性としての恥じらいに満ちている。カウリスマキの映画ではしばしば男と女は出会い頭に恋をするが、今作の場合はこれが実に好ましくないやり方で起きてしまう。悪魔のような笑みを浮かべた都会から来た男は、田舎娘(娘と言ってもここでは40代そこそこだが)に対し、次に君を迎えに来るからと甘い言葉で誘う。

 マルヤはその日から夫がありながら、別人のように変わってしまう。農村には似つかわしくない電子レンジの調理器具とおあつらえむきのファッション雑誌が彼女の「ここではないどこか」への願望を掻き立てるのだ。妻は都会と田舎で逡巡しないどころか、都会の希望が見え始めたことで、村での退屈な日々の暮らしがより退屈に感じて仕方ない。シュメイッカの二度目の来訪の時、ユハは前回と変わらぬ笑顔で客人を歓待するが、それ以上に意欲満々で彼の前に姿を現したマルヤの姿に思わずため息がこぼれる。そんな彼女の感情を全て把握しているかのような鮮やかな手際の悪魔の所業にも胸が締め付けられる。農村で一緒に寝ていた時よりも、横に誰かの姿がない一人での寝室の方が味気ないのはなぜだろうか?男も女もその瞬間、昔の幸福な暮らしを思い出しながら静かに涙を拭うばかりだ。中年女をカゴの鳥にした支配者はアメとムチを同時に使い分け、我が物顔で彼女の感情をないがしろにする。働けと言ってなじる支配者の姿を見上げたカティ・オウティネンの表情のクローズ・アップは、サイレント映画のリリアン・ギッシュの表情を彷彿とさせる。

 シュメイッカを野蛮な悪魔だとすれば、夫のユハは最初から不能のイメージが植え付けられている。マルヤに背中を向けて眠る彼の姿はどこか寂しく、不自由な脚を抱えながらそれでも男はラスト・ミニッツ・レスキューに繰り出す。かつて同じ場所にいたはずの2人は、別々の空間で互いにモンタージュされる。カウリスマキらしくない残酷な仕打ちである。
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