【永遠】
まさかこの作品をスクリーンで観ることができるなんて思ってもみませんでした。
この年末の脂っこい時期に奇跡的に半休が取れたので、近くの劇場の上映スケジュールを確認したところ、デジタルリマスター版のリバイバル上映の文字が!しかも今日まで!
でも勤務終了時間から開演まで20分しかない!どうする?!
・・・劇場までは走れば5分もかからない好立地。
それにもまして逸る気持ちを抑えきれず着替えも含め6分で劇場到着。
「やれば出来る子」うんうん。
平日の午後ではありましたがレディースデイということもあり、7~8割席が埋まっているという盛況ぶり。
作品からして年配の方が多いのかな?なんて勝手に思っていましたが、意外と若い女性が一人で観に来ているのかなという方も結構いましたね。
(そりゃそうだよね。これだけ有名な作品だしスクリーンで観られる機会なんてそうないもんね。)
―――物語は1940年、戦争ど真ん中のフランス。
戦火から逃れてきた民衆にも容赦なく掃射を浴びせるドイツ軍機。
幼いポーレットは両親と愛犬ジョックと一緒に逃げていたが、両親は機関銃で撃ち殺されてしまい、ジョックも瀕死の重症を負って直ぐに息を引き取ってしまう。
同じ頃、牧場から逃げ出した牛を追いかけて来たミシェルはジョックの遺体を抱きしめ途方に暮れているポーレットを見つける。
牛を捕まえるのを手伝ってほしいと頼まれたポーレットは「ジョックの死体を抱いているからイヤ」と断る。
しかし「新しい犬をやるから」と言われるとあっさりとジョックの遺体を放ってミシェルの後を付いていく。
やがてミシェルの家にいさせてもらうことになるが、未だに両親の死というものがどういうものか理解できていないポーレット。
「お父さんとお母さんがいるあの橋に戻りたい」
「あそこに行ってももう二人はいないんだ。二人は穴に入れられているよ」
「どうして?私の犬と同じように雨に濡れないように?」
「お墓ってなあに?」
「死んだ人が一緒に入る場所さ」
「私の犬は一人で退屈する?」
二人にとってお墓は「死者の弔い」ではなく、「生→死の境界線を跨いだ人が入っているだけ場所」なのだ。
だから「寂しくないよう」にという純粋な気持ちからジョックのお墓の周りに沢山の「お墓」を作っていく。
そして(必要なら・・・・)と十字架も飾る。
祈りの意味もわからず、弔いの意味も十字架の意味もわからず、そこに悪意は微塵も存在せず、ただ「ここにいる犬が寂しくないように」という一心で始めた二人だけの秘密。
しかし、それは大人達が暮らす現実社会の中では決してしてはいけないことだった。
だけど・・・「何故してはいけないの?」とポーレットのあのつぶらな瞳に見つめられたら、果たして僕はキチンと答えてあげられるだろうか?
大人が勝手に「常識」と呼ぶ不確実な境界線。
祈りによってもたらされるのは許し?何?何故?
彼らの純粋な「遊び」と、周りの世界の温度差のコントラストは、ともすれば残酷なほどに対照的だった。
言うなればこれは残酷なファンタジー映画。
彼らが迷い込んでしまったのは過酷な現実からちょっとだけ離れた幸せな場所。
でも決してそれを映像には頼らない。
あの二人の存在感と表現力が全て。
そして100年生きているといわれるフクロウ・・・。
ミシェルが孤児院に連れて行かれそうになり、受容れがたい現実に懸命に抗うミシェルは、二人で作り上げた「永遠の場所」をメチャメチャに壊す。
それは大人が土足で踏み入ることを拒むかのように、自らの手で全てを壊すのだ。
一気に爆発する感情。
唯一、ポーレットがジョックの墓に飾ったネックレスだけは捨てなかった。
「100年守って」
ネックレスだけは捨てずにフクロウに託したのだ。
あれこそがミシェルの意地でありポーレットへの優しさでもあるんだと実感。
「愛のロマンス」のあの有名な旋律が流れるたびに、この世界に二人きりしかいないかのような切なさが漂う。
今までも何度も聞いてきた曲だけどやっぱりここぞの場面で流れるとグッと来る。
これぞ映画音楽なんだと思いました。
名作が名作と言われる所以に触れることが出来ました。
暫くインフルで倒れていたので劇場鑑賞復帰1本目でいきなりいいモノを観ました。