《侍の映画》、Vol.4。『用心棒』。
こんな個人的な企画の並びに並ばすのが申し訳ないほど類稀な武士の映画。黒澤映画。
黒澤映画、実はそんなに観たことないので、こういうキッカケを大事にして観ていきたい。
三船敏郎、仲代達矢。
白黒、いや、日本が誇る銀幕の獅子たち。
凄みが、雰囲気が、画面から伝わるパワーが桁違い。
『七人の侍』を観た時にも思ったけど、黒澤映画の白黒映画は、なんでか白黒に思えない。
白黒なのに、そこから伝わる画力というか、演出というか、色んなものが噛み合わさって何でか色が見える気がする。
この体験が、この黒澤映画の醍醐味かも知れない。
とある寂れた宿場町に降り立った流浪の侍。
そこで起きてる派閥争い。
その争いに乗じて用心棒を名乗り出て、金をせびりながら、共倒れを画策する。
両派閥が共倒れで転覆すれば、町に平和が訪れる、、、。
そんな粋な1人の侍の計らいの映画。
この侍が、腕っ節だけではなく、機転を利かせたり、交渉上手だったり、心理戦も巧みに乗り越える。
どこの馬とも知れない侍が、町のいざこざに首を突っ込んで、今までの均衡を破る。
少しずつ崩れる均衡、町の情勢が確実に動き始める感じ、それを制したり加速させたり。
向こうみずかと思いきや、それなりの計画に沿って動かし、自分の立場も作っていくしたたかさ。
最後の最後で、そのしたたかさにボロが出るところも、人間味がある。
この徹底した舞台の作り込み。
本当に貧しい場末の寂れた宿場町。
本当にこんなところに“宿場”できるのかよ、と思うほど、なかなか廃れてる。
数多くの時代劇が、江戸時代の様相を体現してるけど、ここまで朽ち果ててるリアルさはなかなか無いと思う。
実際の江戸時代の場末観ってきっとこれぐらい廃れてると思う。
もう、屋内と屋外の差って何だよ、って思うレベル。
その飯屋の飯は食っても平気なのか、と。
その戸板の隙間、空きすぎだろ、と。
これはこれで日本の伝統、歴史がそういう文化だったわけで、お殿様が住んでる場所だけが住まいではない。
むしろ、圧倒的に大多数がこんな暮らしをしてたんだろうな、と思えるリアリティ。スゴい。
そういう意味で江戸の庶民の底辺で織りなす侍と地元の鍔迫り合い。
「おもしれぇ見せ物だがな、見物は後にしてくれるかい!」
音楽もそうだし、ところどころにユーモア、センスも忘れず、何より三船敏郎がカッコ良すぎる庶民派ヒーロー的な侍の映画。
この飯屋のおやっさんが良い。
最初の飯屋から外を眺めながらの町の相関図を説明するシーンが印象的。
何から何まで砂埃や雨粒1つ含めて、ほんとリアルで、無駄のない演出。