めちゃくちゃ久しぶりに観た。
久しぶり過ぎてほとんど忘れてた。
あの前半の下から見上げる“飛び降り”のシーンのインパクトが強烈でそれだけは痛烈に記憶がある。
しかし、この2人がマークウォールバーグとゾーイデシャネルだったとは。人間の記憶力とは本当にアテにならない。
ゾーイデシャネル、『(500日)のサマー』のサマー。この人の青い瞳、吸い込まれる。
気が強くて意固地だけど、とはいえ恋愛体質っぽいおてんばキャラがよく似合う。可愛い。
ニューヨークやフィラデルフィアなどの大都市で公衆の面前で人々が自らの命を絶つ謎の現象が多発。
神経毒のようなものが撒かれるテロ行為ではないかと全米が震撼し、逃げ惑う。
どうやら、東海岸を中心にその現象が拡散しているらしく、マークウォールバーグとゾーイデシャネルと預かった少女と3人の、アテのない逃亡劇が始まる。
Mナイトシャマラン。
この頃のシャマランはちょっと評価が低い作品が多い時代。
『サイン』『ヴィレッジ』『レディインザウォーター』『ハプニング』『エアベンダー』あたり。
個人的にはそこまでつまらないとは思わない。
むしろ、作品ごとに記憶に残るシーンも多くて印象に残る作品作る監督。
設定がなかなか独特で独自のルールがあったりして、それをどう進んで、どうなって、どう着地するのか、結構ワクワク悶々としながら観れるのがシャマラン。
しかし、その結末が急にやってきたり、思ってたのと違ったり、サラッとぶっ込んできたり、逆に更なる混乱を生んだり、それまでの話と異なるテイスト持ち込んできたり。
今回も、テロという人為的なイメージを刷り込みながら、まさかの恐るべき“見えない”力にシフトしていく。
この“よく分からない感じ”。これこれで良いんじゃないかと思う。だって、“ここから生まれる力は人知では計り知れないモノが潜むことが前提”でもあるから。
作中でもそれをメッセージとしてストレートなセリフにもなっている。
わからないモノからとにかく逃げる。逃げ方も逃げる方向もわからないまま。
そもそもなぜなのか、何なのか、どうなるのかもわからない。
でも、それは確実に迫ってきていて、捕まれば確実に死ぬ。
、、、でも、捉えられても捕まらない時も、、、ある?のか?
よくわからない圧倒的で無慈悲な絶望感に追われながら、散り散りになりながら、いや、あえて散り散りになって、微かな希望を掴む。
シャマランらしい、話の大筋は少数精鋭で淡々と。
そのルールやギミックにフォーカスする他ない無駄のない筋書き。
これがこの人の持ち味なんだと思う。
すごく渦巻いたアクロバットとアクロバットをぶつけて、意外と物静かな着地に持ってく技。
だから、びっくりするようなスーパーナチュラル的絶望系終末パワーが襲ってきても、どこか他人事と思えない、SFなのにやたらと身近に感じるテイストになる。
これもある意味ウルトラC。
結末がどうとか、理解できるできないとかとは少し違う。
遠い世界のおとぎ話のような設定をすぐ目の前で起きてる出来事に馴染ませてくウルトラC。さすが。
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