まぬままおま

真夜中の虹のまぬままおまのレビュー・感想・評価

真夜中の虹(1988年製作の映画)
4.5
アキ・カウリスマキ監督「労働者三部作」第二作。

私がみたカウリスマキ作品のなかで一番希望に満ちていない作品。むしろ結末を希望として捉えていいの?という感覚になる。また物語にラブストーリー要素ももちろんあるが、ノワール要素の方が強い。もちろんノワール劇も面白い。

フィンランドの北の果て、ラップランドで炭鉱夫をしているカスリネン。真面目に働くが鉱山の閉鎖に伴い失業。同じく失業した父は彼に真っ白なギャデラックを託し自殺してしまう。仕事も家族も失った彼は、銀行で全財産を引き出し職を求めて南に向かうが…。

以下、ネタバレを含みます。

旅の道中、彼はチンピラにあっけなく襲われて全財産を奪われるのだが、全くリアクションをしないのが面白い。悔しいとか悲しいとか絶望もなく、無。ノーリアクション。そして頭に汚い紙を貼っ付けて、日雇い労働に淡々と行く。カスリネンの生きる力が凄い。だからなのか教会の安宿で雨風を凌いで、見栄はりでクラブに行ける。そして運命的な女性のイルメリに出会える。その出会いは駐禁切符をきられるというものだが運命的で必然だ。

本作で印象的なのは労働の描き方だ。物語としてはカスリネンが仕事を得ようとする話なのだが、あるのは日雇い労働といった不安定なものであり、なかなか職につけない。対してイルメリは、駐禁切符の仕事もしているし、食肉加工場でも働いている。銀行の警備員もしているからトリプル労働だ。それも彼女が子どもを養うために、さらに彼女も周辺化された低賃金労働に従事せざるを得ないからだろう。このカスリネンの無職の状況とイルメリの過酷な労働状態は、みていてつらいが現実だ。

けれどそれでも愛を紡ごうとする。生きていこうとする。「敗者三部作」に比べてその愛は純粋さに欠け、利害関係に収束しているように思うが、共に生きていこうとするのは大事なことだ。そして何より子どもはちゃんと生きている。実はこの子どもが物語の中で一番大人なのだが、母親が朝早くに家を出ても自分で起きてカスリネンに朝食を挙げる。二人がベットに行って、セックスをしている最中もおとなしくしている。なんていい子なんだ!

そのような中でカスリネンは彼女と同棲するために職を得て懸命に生きようとするのだが、チンピラと偶然にも再会してしまい一悶着を起こしてしまう。さらにそのいざこざで彼は逮捕され、冤罪で収監されることになる。ここでもノーリアクション。収監されるほどの非はないと思うから、抗議していいと思うのだがこの展開は不条理だ。

さらに不条理なのは、彼がはじめてまともな職を得たのは牢屋の中であることだ。ここには福祉の届かない様が十全に描かれているし、今までの彼の苦労は何だったんだと思ってしまう。

しかしここで思わぬ展開になる。イルメリは収監中のカスリネンの元に面会にきて「優しい」。だがそんな彼女が差し入れの中にノコギリを密輸するのだ。それによってカスリネンの脱獄劇に変わっていく。この脱獄劇にはジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』のようなオフビート感満載だ。しかし彼はチンピラの仲間のミッコネン(!)と脱獄し、見事成功するのである。

ここからどんどん不穏さが漂っていく。脱獄に成功した彼らは偽造パスポートを入手して国外に脱出しようとする。そのために彼らはミッコネンの仲間の元を訪れる。当然、偽造パスポートをつくるにも出国するのにも金がいる。だから強盗を企てるのだ。何か本末転倒な気がする。カスリネンはまともな職を得て、まともな生活をしようとすればするほど悪い方向に向かっている。最初は襲われて不幸ぐらいだったのに、冤罪からどんどん犯罪まっしぐらだ。だが彼に戻る手立てはない。強盗は成功するが、後に分け前で仲間と言い争いになってしまう。ここは王道のノワール劇のように思えるが、最後にカスリネンは「本当の」殺人をして逃亡する。

金は手に入ったから約束通り国外に脱出する。結婚したイルメリと息子と共に深夜の貨物船に乗って。なんだか幸福という虹が架かっているようだ。しかし、である。彼らの行く末は本当に幸せなのか?カスリネンはもはや冤罪になった不幸な者ではない。強盗や脱獄をして殺人もした犯罪者だ。そんな彼と、共に生きようとするイルメリと息子には安住の地があるのだろうか。フィンランドの南には幸福はなかった。それならさらに南やメキシコにいけばよいのか?私はどこにいっても幸せはなく、逃げ続けるしかないと思ってしまう。そして行き着く先は「死」のみだ。そんな希望が途切れた真夜中しか私には想像できない。