櫻イミト

コンドルの血の櫻イミトのレビュー・感想・評価

コンドルの血(1969年製作の映画)
3.4
南米ボリビアを拠点に革命映画を撮り続けたウカマウ集団の長編第2作。当時の反米運動の標的だったアメリカの医療ボランティア派遣団「平和部隊」の追放を促すプロパガンダ劇映画。ゴダール監督が「この映画は、人々を行動に動員する要因になりうるものだ。」と称賛した。

1969年、ボリビア・アンデスの寒村。この村では1年半もの間、子供が誕生していなかった。不審に思った村長イグナシオは調査を開始、この事態は先進国が村に派遣した“進歩舞台”のグリンゴ医師の診療所が出来てから始まったことに気付く。司祭から「グリンゴが女性の腹に死を撒き散らしている」とのお告げを訊いた村人たちは銃を手に診療所におしかける。詰問されたグリンゴ医師は「不妊手術をしたのは子だくさんの女だけだ」と弁明するが、イグナシオは「お前たちがやったことと同じことをおまえたちにしてやる」と宣言し。。。

非常にヤバい問題作だった。前述のゴダール監督の発言通り、本作はボリビア国内で反響を呼びアメリカ平和部隊を国外退去に追い込むきっかけになったとされる。しかし本作で描かれた「不妊手術」はフィクションであり(本作公開後に事実ではないかとの噂が広まった)、架空の悪事を描いて印象操作を行う手法は、昨今のSNS選挙に通ずる陰謀論的な危険性を感じた。

劇映画としてはかなり面白かった。村長イグナシオの回想と、村を出て都会で暮らす弟シストの迷いが並列で描かれ、ラストで合致するシナリオは巧み。伴って映像も、寒村とビルの都会、インディオと白人、農民とブルジョアを並べることで、それぞれの個性と大きな違和感を一目瞭然に示している。

中でも印象深かったのはクライマックス、グリンゴ医師らが「イージー・ライダー」(1969)の劇伴「ワイルドでいこう!」をかけて踊っている所に農民たちが推しかけるシーン。アメリカン・ニューシネマも、インディオたちにとっては米帝国主義のひとつであり反革命的だという主張にはシビれた。

一方、本作の危険性を最も象徴するのは、占いによって敵を断定し襲撃に向かう村人たちの姿。それは本作と同年に起こった、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件(1969)と同じくカルト宗教犯罪の行動様式と言える。

個人的に、本作の存在はウカマウ集団作品への見方にひとつの注意点をもたらした。アンデス先住民の誇りと現実を知ることができたが、そのルサンチマンによる反米帝国主義は、怒りのあまりに暴走し、禁じ手を打つ可能性があるということだ。

ただ、カルト的に偏向しているとしても、これほどまで堂々と真正面から武装蜂起を促す姿勢は清々しくもある。ラストカットの銃を振り上げたストップモーションに、頭の中で「銃を取れ」(1972:頭脳警察)が鳴り響いた。ちなみに日本の革命映画「天使の恍惚」(1972若松プロ)では「孤立した精鋭が世界を変える」と武装蜂起を主張、本作の舞台である第三世界の「共同体で事をなす」姿勢との違いは注目しておきたい。

※発展途上国における「平和部隊」による家族計画の普及活動
1968年 世界銀行のマクナマラ総裁が発展途上国開発政策における人口抑制政策の重要性を宣言。アメリカ政府は産児制限をせず人口爆発が危惧される第三世界各国に国際医療ボランティア「平和部隊」を派遣し家族計画の普及活動を実施した。しかしボリビアでは、家族計画という概念は宗教的にも受け入れ難いものであるうえに、当時広まっていた反米感情から「先住民の子孫を絶やすのが目的ではないのか」との噂が流れ強い反発を呼び、最終的に「平和部隊」は1971年に追放された。

※本作の日本上映委員会による紹介文が”本人の承諾を得ないまま不妊の手術を施すことを目的としているという犯罪的行動を告発”と、あたかも事実に基づいているとの誤解を呼ぶ表現をしているのが気になる。
続けて”このような不妊化施設が存在しているとして、ボリビアで現実になされた非難に基づいている”と書いている。”非難に基づいている”のならば何でもありだ。ズルい言い回しだと思う。
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