阪本嘉一好子

ラスト・ワルツの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

ラスト・ワルツ(1978年製作の映画)
5.0
ショックを受けたのは彼らの演奏の素晴らしさからではない。彼らのパーフォーマンスは大好きで、今でもかなりのものをYouTube で探して聞いている。個人的に好きな音源https://www.youtube.com/watch?v=cNk2G8SxzaA  NY 1976年、ラストワルツのちょっと前、


しかし、この時点でバンドはロビー中心のバンドになっていると感じたからショックを受けたと言っている。ロニー・ホーキンスのバンドにいたリヴォン・ヘルムに15歳のロビー・ロバートソンが加わり、その後、後のメンバーが加わった。そして、1968年にこのザ・バンドが独立したときはリーダーやボスがいないバンドで、皆の役割が平均していると思っていた。それ
が、このコンサートでロビー・ロバートソンの存在感を強く感じてロビー+アルファになってしまったと思った。

『かって僕らは兄弟だった』というロビーの見解で作られた2019年のドキュメンタリーは懐かしかった。実はこれを機にロビーに不信感を抱いてしまった。そして他のバンドメンバーの見解を知る必要があると思ってレイヴォンの見解の本を読むつもりだったが、やっと今になって読み始めている。From Down in the Delta to the Birth of The Band and Beyond という本で、ものすごく長編なので、私はまだ彼らがボブディランのバックバンドで演奏するところまで行っていない。でも、これを参考にかなりの1960年初期の音源が聴ける。リチャード・マニュエルのボーカルが多い。

https://www.youtube.com/watch?v=qg-aPpQbrec
Richard Manuel (Levon & The Hawks) - Georgia On My Mind

https://www.youtube.com/watch?v=w1SJZGhg2QI. CANADIAN SQUIRES-LEAVE ME ALONE

この本を読み終われば、少なくても、リヴォンの見解がわかる。ロビーは成功しているし、現在、ガースとロビーしか生存していなし、ガースはコメントが少ない。不信感が募るが、古い音源を楽しむしか無い。

Levon Helm
Rick Danko
Richard Manuel
Garth Hudson
Robbie Robertson

私は個人的にデビューから1970年の3作目の『ステージ・フライト』までよく聞いていた。ウッドストック(1969年)で、ボブディランから離れて正解だったと思った。ロニー・ホーキンス(ホーク)やディランのバックバンドだったからすでに実力がついている。素晴らしい演奏ぶりだ。
当時はバンドやオールマンブラザーズのようなサウスの泥臭いサウンドの受けはそれほど良くなかったと思うから、日本のプロモーターは彼らを招待していないのでは。 これが当時の私にとって不思議だった。
だからバンドは1983年が初来日だが、すでにロビーは去っていた。ラストワルツの方はとても有名になったので観た。 私はもう老人で長く生きているので、ここに招待されたミュージシャンや詩人はかなりよく知っているくらいだ。でも、Michael McClureという詩人は知らなかった。彼は1955年にサンフランシスコのSix Gallery reading の一人らしい。
"Loud Prayer" これは神の祈りをジョークに変えている詩だが面白い。この人はローレンス・ファリンゲッティーという(Lawrence Ferlinghetti)詩人で、アレン・ギンツバーグの詩集ハウルの出版人で、シティー・ライツというビートジェネレーションの集まる本屋をサンフランシスコで経営していた。この本屋は現在まだある。
ただ、ゴスペル・シンガーやジャズ・アーチストはあまり知らないが、有名な人たちらしい。驚いたことにこのコンサートは1976年、アメリカの感謝祭の日、サンフランシスコのウィンターランド ボールルームで開かれたらしい。 バンドが最初のコンサートをした場所だとロビンが言っていた。

下記はあくまでも個人的な見解だ。

The Bandは最高にクールで、南部の曲、ブルース、ゴスペル、デキシー、ロックなどが大好きだから、オールマンブラザーズバンドの次によく聞いていた。五人全員が実力のある人たちの集まりで誰がリーダーだとか誰が優れているかなどとは聞いたことがなかった。歌詞はときどき、つまらない歌詞で、もうちょっと深みをつけてもいいなあと思うけど、それがブルースや南部の良さ。シンプルな中でジーンと伝わってくるものがあるので好きだ。

It makes no difference where I turn
I can't get over you and the flame still burns
It makes no difference, night or day
The shadow never seems to fade away
And the sun don't shine anymore
And the rains fall down on my door
Now there's no love
As true as the love
That dies untold
But the clouds never hung so low before

彼らの演奏はピカイチで、特にロビーのギターと、、、、、などと書き出すのがおかしいぐらいバンド全員が好きだ。たいて、一人ぐらい個人的に気に入らない人がいるが、このバンドに限っていなかった。このラストワルツもなかなか粋なことをするなと思っていたが、久しぶりに観て制作を含めて全てが、ロビーの計らいではなかったかと思われるんでここに感想を書く。

なぜって、まず、幅広いアーチスト。 これらの人々は、ロビンに向かって挨拶やキスをしている。ロビンが招待したと思う。ドラマーのレヴォンはクラプトンに握手を求めたが、光栄ですここに来ていただいてという雰囲気で、仲間ではない様子だ。でも、クラプトンはロビーには目で合図を(簡単な挨拶)をした。

ビル・ブラハムも製作しているが、彼は超有名なプロモーターでサンフランシスコやオークランドなど全域に渡ってのコンサートをプロモートとしているし、自分のレコードレーベルも持っているし、60−70年代もっと長いかもしれないが、音楽のドキュメンタリーには必ず名前が出てくると言ってもいい。もちろん、当時の反文化(カウンターカルチャー)の中心地はサンフランシスコやバークレーで、詩人たちや音楽家たちを芸術家をプロモートしていたわけだ。彼にとって大物を集めるのは簡単さ! それに、映画の初めにサンフランシスコのウィンターランドの前に人々が並んでいるが、よく見ると、Bill Graham's Winterland とウインターランドにサインが見える。コンサート会場は彼の所有。

バンドのツアーマネジャーがスコセッシとロビーをあわせたと読んだ記憶がある。ザ・バンドを会わせたのではなくロビーを。ロビーはこの後に、スコセッシの映画、アイリッシュマンなどの音楽を担当してハリウッド界に入っている。ロビンはすでに次の道を一人で歩み始めていたわけだが、スコセッシやグラハムや他のアーチスト、詩人の方向に軌道を変更している。映画の最後でリチャードがアイシャルビーリリースのソロを歌うところで彼の存在はカメラから漏れて、ゼロに等しくなった。ガースもほとんど。なぜ下記のコンサートのように制作できなかったのか。カメラマン?それとも制作者をの問題? https://www.youtube.com/watch?v=Z7CniLlueBI ロンドンのウェンブリーのようにメンバー皆を映して欲しかった。

ロビーは存在感のある人。スコセッシの質問にもまともに答えているのは彼だけだ。会話のリズムが他のメンバーと違って、早口ではないが滑舌が良く分かりやすく話し、上手だ。頭の回転がよく先がみられる人だ。のんびり構えて、いっぱい飲んだような調子でグタグタ話さない。多分、ガースは情報が少なすぎてわからないけど、麻薬はこのコンサート中でも使われたと思う。だから、ロビーが答えた方が話がはやいし通じる。特にコンサートツアーでは『麻薬・アルコール・女・タバコ』これをコントロールできたものが最後に残った感じだね。
インタビューはロビーが中心になっている。ロビーの言葉で、ロビーの見解だけでだと思う、『16年間コンサートツアー(road)、変える時が来た。それがラストワルツだ。20年もコンサートをし続けられないよ。 コンサートは学校と同じで、もうそこから学ぶことはない。コンサートツアーをすることで失った人がいる、ジミヘンやオーティスレディングなど、、』 もう、ロビーはコンサートツアーはしないと言ってる。 これがロビーと彼以外の意見の相違の一つだね。

ラストワルツ:コンサートの全曲
https://www.youtube.com/watch?v=gyLEOYdgcAY