Ricola

牝犬のRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

牝犬(1931年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

フリッツ・ラング監督によるこの作品のリメイク版『スカーレット・ストリート』を先に鑑賞したが、筋書きなどほとんど同じでも、雰囲気やノリが全く違った。
フィルム・ノワールというよりも、こちらの方はシニカルなコメディ作品であった。


冒頭の人形劇からもう皮肉的である。
3人の主要登場人物(ルグラン、ルル、デデ)を紹介し、二重露光で彼らを浮かび上がらせる。
そしてこの作品には教訓なんてない…と言い放たれ、幕が上がる。

愚かであるが切なくもある三角関係。
結果的にそれぞれが当然の報いを受けるのだが、その様子を「やれやれ」とでも言うように、あくまでも感情移入せずに冷徹にとらえている。

ルグランの向かいの家の窓辺まで見える、奥行きのある構図はもう健在である。
その向かいの部屋から、子供の賑やかな話し声やピアノを弾く音が聞こえてくる。どんよりとした雰囲気のルグランの家のそれとは全く異なるものである。

「事件」が起こったときもあまり直接的な描写はせず、環境描写を徹底することで、第三者たちの関係性やこれからの展開への伏線にかなり役に立つ。
外の路上ライブにどんどん人が集まる。
そこではのどかな音楽が流れている。
それに対して室内で事件がじわじわと迫ってきているのを、シーツの上にあるナイフを真ん中に置いたショットを2回見せつけて強調している。
デデがその群がる人々の中に車を停めて、大きな顔して現れるが、帰りには冷や汗をかいて戻ってくる様子だけが映される。
人々やアパートの管理人同様に、彼のアリバイを皮肉にも掴んでしまった形となったことを表している。

ルグランが真実を知ってしまった修羅場でも、冷静に窓の外からカメラは見つめている。
ラストのルグランの顛末も、コメディ映画のかわいらしいオチのように軽やかに描かれる。

人生の虚無感が、失望を加えずに楽観的に終始表現されている。
流麗なカメラワークと「直接出来事を描写しない」ポリシーによって、この作品は単にブラックコメディと片付けられないと思う。
Ricola

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