僕には持病があって、昭和の文化系インテリ特有のナルシズムを接種すると、アレルギーの副反応で蕁麻疹がでてしまう。
なんかあれだろ、こういった文化の底流に流れてた思想とか気質とか空気感とか、そういうのが今もまだ下北沢とか、ビレバンとか、そこらへんに団塊世代の不愉快な残り香として溜まってるからだ。
寺山修司もジョン・ウォーターズのようなアウトサイダー・アートと同じで、その時代性、文化的な背景、それらがあってはじめて輝くものだったし、彼自身も作品が一部の人間にしか受け入れられないことは承知の上だったと思う。
ゲリラ撮影なんかしちゃったりして、これをどんなに気取ろうがやってることは迷惑系YouTuberと大差ないのに、「映画なんかみてんじゃねえよ」なんつって、画面から挑発してくるのがやっぱ好きじゃない。正しい正しくない、イイとかワルイじゃなくて、それよりも何よりもまず、僕は偉そうが嫌いだ。
あんまり小汚ない東京の、そのまんまをみせないでほしいな。僕らは、ピッカピカでギラッギラの都会が好きなんですよ。地方都市の繁華街で事足りるつまんねえ東京は、お呼びじゃねえんだ。ザギンでシースー食わせろってわけ。