基本的ストーリーは原作に近いのだが、まったくの別物。
どう見ても第一作目「ゴジラ」のファンから見ると、怒り心頭となる作品ではある。
しかし、ここは100歩ゆずって好意的に、今作が果たした役割を考えてみると、確かに世界に「ゴジラ」というコンテンツを広げた功績は認めないといけないだろう。
今作が無ければ日本国内だけで終わってしまっていたかもしれない。
それに、編集は驚いてしまうぐらいスムーズで、その上、原作でのテーマや訴えていたことを全部排除して、単なるエンタメとすることが出来たのは「映画医師」と呼ばれるほど編集に長けていたテリー監督の手腕だろう。
ゴジラが公開された年代1954年当時のアメリカと日本の関係や、映画界の状態を見れば、原作の芸術性や主張まで葬り去る改悪はしょうがないのかもしれないが、それにしてもたった2万5千ドルでライセンスを売ってしまった東宝の罪は重いと思う。
世界的には今作の方が有名というのがなんともやるせない気持ちになってしまうが、いつかは本物の「ゴジラ」が世界で認められると信じよう。
余談。
別の言い方をすれば、テリー監督はオリジナルの持っているメッセージ性を読み取ることが出来ていたということだろう。
そして、それを入れてしまうとアメリカでのヒットはまず見込めない。
当たり前だ。
オリジナル版にあった長崎市への原子爆弾投下、ビキニ環礁の水爆実験、原爆実験によるマグロの放射能汚染などの原爆・水爆に関する要素は、すべてアメリカ批判につながるもの。
当時のアメリカ人、いや、今でも大多数の人が「原爆は使って正解」と考えているので、それを批判はできないってことだろう。
映画が商品である以上、テリー監督のとった行動理解しないといけないのだろうな。
一番の問題はこれを許した東宝にあるのではないだろうか。
作品、監督を守る気なしって言うか、儲かればそれでOKってのが情けない。
わずかな救いは、当の本人である本多猪四郎が激怒などせず、軽く受け流していたことか。
wikiによれば
本多猪四郎は複数の映画史家から「勝手にストーリーを改変されて不快に思っていませんか」と聞かれたことがあるが、本多は改変を面白がり「彼の映画はアメリカのモンスター映画を真似しようとしている」と返答しているは複数の映画史家から「勝手にストーリーを改変されて不快に思っていませんか」と聞かれたことがあるが、本多は改変を面白がり「彼の映画はアメリカのモンスター映画を真似しようとしている」と返答している。
大人の対応だねぇ~。笑