ワンコ

チャップリンのニューヨークの王様のワンコのレビュー・感想・評価

4.5
【いずれ…】

「いずれ、正常に戻るわよ」「そしたら戻ってくるさ」

これは映画の中のセリフだが、この作品の制作当時大きくなりつつあった公民権運動、1960年代の女性解放運動、泥沼化するヴェトナム戦争を疑問視する学生を中心としたリベラリズムの運動を経て、この「ニューヨークの王様」がアメリカで公開されるまでに10年以上の年月が必要だった。

いわゆる「赤狩り」と呼ばれるアメリカで大きなうねりとなっていた共産主義排斥運動を熟慮もなく、時代の雰囲気だけで行うアメリカの社会や政治を皮肉った作品でもある。

これを観た人がどう感じるのか実はよく分からないが、”わずか10歳”のルパートに両親の釈放と引き換えに共産主義者を密告させようとする場面は、特定の政治や思想信条を子供に植え付けることを厭わない行為であって、今僕たちが忌み嫌うロシアや中国などの専制主義や特定の宗教の原理主義国家がやっていることと何ら変わらないではないかと思わせられる。

安倍モリカケサクラ統一教会ウヨ晋三元首相の妻が、森友学園の幼稚園で園児が教育勅語を大きな声で唱和したのに対し拍手を送っていたのを見て、非常におぞましく感じたが、これを良しとする連中が、政治家や、極ウヨの〇〇会議にはたくさんいるのだ。

こうした専制主義や宗教の原理主義、ウヨ思想の連中には虫唾が走るが、ただ、この作品の希望は、冒頭のセリフだ。

人間の社会は振り子のように元いた場所にいずれ戻るのだとチャップリンは言いたいに違いないのだ。

分子生物学者の福岡伸一さんが、イギリスがEUの離脱を決めたときに、遺伝子を例にとって、面白い話をしていたことを思い出した。

「ヒトは、長い進化の末に唯一、遺伝子の呪縛から脱した生物だ。遺伝子の呪縛とは、争え、奪え、なわばりを作れ、そして自分だけが増えよという利己的な命令のことだが、これに対して、争うのではなく協力して、奪うのではなく分け与え、なわばりをなくして交流し、自分だけの利益を超えて共生すること、つまり、遺伝子の束縛からの自由こそ、新しい価値を見出した初めての生命体がヒトなのだ。言い換えれば、種に奉仕するよりも、個と個を尊重する生命観だ。」

僕たちの社会は、多様であることを重要視するようになってきている。

しかし、一方で、口では多様性が大切と言いながら、一部にその考えを取り入れても、他方では、二項対立や二元論的な発想に縛られている人はいないだろうか。女性の社会進出が大事といいながら、父権主義、家父長主義から踏み出せない人。LGBTQなどノン・バイナリーがいることは認めましょうと言いながらも、同性婚は反対という人。逆説的なところでは、ウヨのくせに、旧統一教会と親交を深めて何も感じない連中。

これらを愚かだと片付けるのは簡単だ。僕は、「いや、ちょっと待て。自分の考え方に矛盾はないか。整合性はあるのか。もし、そうでないとして、理由はなんだろうか」、こうした思考プロセスが欠如しているのか、習熟できていないのか、訓練されていないだけではないのかと思うのだ。だから、勉強や様々なことに興味を持ち考えることが重要なのだと思ったりする。

リベラルな発言に対し「あなたは日本人ですか!?」とマニュアルに書いてあるように強い口調で問いただすバカは、思考することを止めた飼いならされた家畜と同じだ。

これからも社会は揺れ動くだろう。

でも、振れてるだけで一見同じところを行き来しているように見えても、人間は少しずつでも自由という価値に近接してきているのだ。

チャップリンの多くの試みは、政治もヒューマニズムのありようも、映画も舞台も垣根を低くして相互に交流出来るように発想したものだったように改めて思う。

これがチャップリン・フォーエバーをすべて通して考えた僕の結論だ。
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