娘が生まれたのをきっかけにビデオ撮影にはまり、小さなファインダーからしか世の中が見えなくなり、大切なことを失ってしまった話。キエシロフスキの長編2作目。映画制作と共産党の検閲についての寓話。
とぼけた感じの味わいある主演のイエルジー・スチュエルがキェシロフスキ監督と脚本を書いています。
このくらいのことで問題になるの?と思ってしまう私は冷たいのかもしれないけど、カメラに熱中してしまうお父さんはいくらでもいる。
奥さんが怒っているのは、育児ノイローゼだからだけでなく、子供が生まれる前から火の粉は上がっていて、月給2ヶ月分のカメラってどうよ、奥さんに相談無しだし、こうしたいと思ったら、一直線に突っ走るお父さん。人の話聞かないし。前から小さなイラが募っていたとみた。
会社の話も合点がいかなかった。
カメラは自前なのに、映画部で製作する映画は会社のもの。フィルムも自分で買って、公私を分けて、自分の撮りたいものは私的作品にすればよかったのにと思った。でもそこまで管理しようとする会社に驚いた。
カメラ騒動は公私混同しなければよかった。
会社が社内の様子をカメラに収めさせたのは共産党のお達しだったのか。
表看板だけの実体のない銀行とか、驚いた。まるで映画のセットみたいだ。
会社の担当を傷つけたことになったのは、工場は共産党が牛耳っているからなのかな。プライベートでは喜んでくれた人たちがいたのはよかった。
正直すぎるフィリップは本音を言ってしまう。「平穏な家庭生活だけでは飽きたらない」そんなこと言ったら奥さん怒るわ。それが決定打だった。
リュミエール兄弟の汽車がホームに入ってくる映像のオマージュがあった。あと、奥さんがうなされる夢はケンローチの『ケス』からのインスパイアみたいで、写真集の『ケス』のページをフィリップは見ていた。私はそのくらいしかわからなかったけど、わかる人はあちこちにオマージュを見つけられるんじゃないかな。
フィリップの作品すべてが会社の文化部の管理であることが、腑に落ちなかった。
ポーランドのアマチュアカメラマンが自由に撮影できないことを揶揄していたようにも思えるフィリップの悲喜劇。キェシロフスキ監督の実体験が含まれていそう。
フィリップの作品はキェシロフスキが初期に撮っていた作品のようにも思う。かなり古かったので。
赤ちゃんがすごく可愛く写っていたから、懺悔すれば奥さん許してくれそう。
実はちょっとだけ私も刺激を受け、🎥動画を撮ってみようかな、と思ってしまいました。