坊やとかあやん(飯田蝶子)が一緒に背中をぐるぐると回すシーン
これは日本映画史に残る名シーンとして登録したいです、、!母と大爆笑しました。
これくらいの小津も好きだなあ、いわゆる小津の系譜から外れた作品。
20代の私には、のぞきからくり、トラホーム、剣呑剣呑なんて言葉、言い回しは分からなくて調べながらだったけど
のぞきからくりでやる唄の口上をみんなで家に集まって茶碗を叩きながら笠智衆が朗々と歌い上げるシーンは分からなくても気持ちが良かった。
日本人が愛する節回し、リズム感なのかな。
にしても笠智衆うまいなあ、こんな芸もあるのか。
節に合わせて茶碗を叩く箸を上に掲げるんだが、笠智衆がそれをすると飯田蝶子も合わせて掲げるところとかなんだか本当に唄口上の物語が流れているようで好きだったな。
かあやんとその友達のきく女の会話も本当に好きだった。
"惜しいことしたわね、あの子。惜しいでしょ、あんた?あんたも、結構、好きね。あの子。あんたは、とうに好きになっちゃっているのよ。あの子。"
"ふーん。そうかしら?"
"そうよ、決まってるじゃない。"
"そうかね。ふーん。"
"何が、ふんよ。"
"今まで、別に気がつかなかったけど。"
"そうなのよ。そんなものなのよ。もう、人情、移ってちゃうのよ、ほら。犬ね、知らない間に尻尾振るでしょ、あれよ、人間だから見えないけど。あんたたち、もう結構、尻尾振ってんのよ。坊やのは、細くて、小さいの。あんたの、太くて、長いの。土佐だからね。ブルもかなり混じってるけど。"
"冗談じゃないよ、ぶつよ。"
こういうジョークは現代だってとっても面白いし、こんな風に人間の些細な些細な営み、心情をおかしみと素朴と幼さの中に明るく描ける監督が減ったなと感じる。
かあやんが坊やに一攫千金目当てでくじを買わせに行く時
"お前、割と無邪気だろ"
って。笑
これも笑ったな。学校上がる前の子供に対して割と無邪気だろって
戦後、人1人1人が生きるか死ぬかを必死に生きていた時代、子供の扱いももちろん違うもんだけど(上野のストリートチルドレンの描写や1人で釣りをする子供が何人もいる描写もある。子供も必死に死なぬように自分だけで、あるいは同じ子供たちだけで生きようとしていた)
そんな中でものどかさを忘れちゃいけない、そういう希望の存在こそ潰してはいけない
そののどかさを子供にも時代にも失わせていたのは大人の自分たちじゃないか?と気づくかあやん。
その気づきから、笠智衆に
どうだろう、田代さん、私に子どもは授からないかね
と聞くシーンはどう見てもおばあさんのかあやんが言うという面白さも一瞬ありつつ、この1人の女性の人生も想像されて切なくなったりもする。
"お前さんが?お前さんが授かったら、おかしかろうが。後家さんじゃぞ、あんた。"
この人は何で夫を失い、子どももいないのか。描かれることはないが、この映画自体の戦争の時代背景、暗い問題を感じてもいいのかな。