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夏の嵐のmのネタバレレビュー・内容・結末

夏の嵐(1954年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

絶妙な人物造形が巧みだった。
フランツが自尊心の崩壊により狂ってしまうわけだが、そこにいたるまでのフランツの美しさと垣間見える幼児性や無邪気な邪悪さなどが魅力を引き立たせていた。

ただラストの再会の描き方に少し思うところも。フランツは自らの醜さに苛まれ帳尻を合わせるように相手を侮辱し詰る。それは鏡や女で自らの姿を確認すると言っていたように、リヴィアがよりフランツの姿を克明に自覚させるからではないか。変わり果てた自分を見るときのリヴィアの眼差しを通して自分の哀れさを自覚する、そして無性に腹が立ちリヴィアへぶちまける。その時にはフランツが見たであろうリヴィアの眼差しは克明に描かれなければならず、その表情を受けたフランツの気づきのショットも不可欠だ。
例えば、リヴィアをこれでもかと侮辱し帰れ!と罵り彼女が出て行ったあと。娼婦の方を振り返ったフランツは何を見るのか。怯えた娼婦のフランツを見る表情によって我にかえるのではないか。そして弱々しく首を横に振るかもしれない。
しかしリヴィアはそれを目撃はしておらず、密告する。そしてマスゲームのような軍列が一斉にフランツを射殺する。秩序的で無秩序な社会。リヴィアはあの後何を思うか、もちろんこの激動の時代で小さく音を立てていた恋のことであり、冒頭が回想のナレーションで展開されることからも察せられる。ラストに彼女のナレーションやカットが観たかったような気も、要らないような気も。(もしかしたらリヴィアは彼の醜さを見てまた自らの醜さを恥じて自決するかもしれない。)

リヴィアは思えば、ブラシやピンを取ってと召使扱いしていた頃から段々と彼に従順になっていき義捐金の大金まで渡してしまう。彼に罵倒され捲し立てられた時、泣いたり怯えたり、帰れないというのには中々親身になれなかった。彼女はこの場から動くことができずましてや喋ることすらショックでできなくなるのではないか。閣下への密告も筆談で行い、銃殺の音を黙って聴いているかもしれない。
彼女は作中で何人かに長々と捲し立てられるように思想を話されることがある。それを聞かざるを得ない状況にいる、というのが彼女の立ち位置としてわかりやすい。

一番印象に残っているショットは、79分頃の手前画面右にフランツのぼけた横顔、左奥に頬に手を寄せたリヴィアのショット。あのショットがこの作品を一身に背負っている。
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