せいか

秘密の花園のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

秘密の花園(1993年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

12/30、Amazonビデオにて動画レンタルして視聴。字幕
原作既読済。取り立てて好きな作品というわけでもないが、どう映画化してるのかは気になっていたので観た。
本作、原作と比較すると端折りつつ、でもなんか肥大化しつつみたいなもので、原作にはおよそ忠実だけど全体的になんか違うみたいな内容になっていた。屋敷の構造とかメアリーと養父の関係、屋敷内の空気、メアリーの成長のしかた、屋敷の構造、鍵の場所、庭の様子とか、設定の変更のみならず、小説読んだときに想像するイメージと何もかも印象が異なるところがあるけれど、それはそれとしてこの映画作品としてまとまってはいるとおもう。思うけど、びみょーにもやる。マーサの母親やその家庭との交流とか、医者の腹黒さとか、カットされたいちいちが気になる。世話役のマーサにしろ、大人たちも暗いほう暗いほうにばかりやたらと設定が変更されていたりもする。

子どもたちの病まされわがままになった感じとか、世界のあり方、ナイーブなばかりで子どもたちによって光がさす父親とか、子どもたちの交流とか、何もかも原作のほうが好きだなあと比較してしまうというか。
本作は(子供の)恋愛的な要素も混ぜ込んだりしたり、子供たちの鬱屈さが手加減されたものになってたり、そして彼女や彼らがそこから解放されていくのも何となく型に乗ったような「綺麗さ」でまとめられているばかりで、なんか表面的過ぎる。子供たちが美しい秘密の花園の中で閉じ込められながらものびのび育ち、大人たちもそこで幸せにやっておりますみたいな閉じた世界の物語になっていてなんか怖いというか。画面の美しさに反して、開放感が妙にないのである。手足を伸ばして跳ね回る、お行儀の良さや利口さを跳ね飛ばす元気さがなくて、なんか最後まで病んでいる。

あと、メアリーが少年二人を庭に招くシーンがどちらも妙にエロティシズムを彷彿とさせてたり、ベッドから出るようになったコリンが深夜にメアリーの部屋を訪れるシーンもそうだったり、あえて恋愛に近いような要素を入れたり、とにかくそういうところも含めてこの作品はひたすら(原作と比べると)なにやら息苦しいものになっている。子供が主役なんだからエロティシズムいらんとかそんなこと言いたいんじゃなくて、あえて組み込まれているそれらが鬱屈なほうに働くように作品を作り変えていたということを言いたいのである。

最後も父親が子供たちが元気に遊んでいて亡き妻の思い出の深い秘密の花園の扉も開かれているのを目の当たりにして……という、原作ならばこれでもかと一気に心地よい春の風が突き抜けるような、花々の香りが豊かに香るような爽やかさがある箇所も、コリンと父の閉じた喜びの世界になり、メアリーは泣くということを知るにしてもなんだか突き放したようなものとなっていたり(原作のメアリーがラストては存在感が薄くなるから強くしたというのもあるのだろうけど)、カタルシスのぶっ潰しがあって、やっぱりなんか息苦しいまま。以降は庭も秘密のものではなくなって開かれたものになりましたという話なのに、いたずらに前ボタン外してはだけました、風が吹きました、胸が寒いですみたいな暗さがあるというか。見た目にはきらびやかだし、ハッピーエンドやってはいるのだけれど、中身が詰まってないので冷え冷えとしているというか。
養父との血縁関係を母の双子の姉だか妹だかの妻との縁でに変えたのもそうだけど、メアリーが彼にとって暗い遺物としての存在を強めてたり、この亡き妻周りの部屋の様子とかもそうだけど、原作以上に病んでいて、最後まで思い出の箱の中に仕舞い込んだ美しいものみたいな閉じたものとしてるように見えるのが独特の気持ち悪さがあった。この世界に先はない気がするし、どこか鬱屈としたままのものを引きずっていってそうな気がする。こう鬱屈にするならもっとメアリーの内面に迫っても良かったとも思う。
なんか、暗い部屋でソファーに座って煌々と照るTV画面と向き合ってるような作品になっていた。こんなことになるように作れるもんなんだなあと思ったというか……。

とはいえ、別にそこまで原作無視してるとか、ぶっとんでるというわけではなく。綺麗な、少し埃っぽい紙箱を閉じるような余韻が、それってなんか違うのでは?みたいな気持ち悪さを残して終わる。
せいか

せいか