りっく

ラブリーボーンのりっくのレビュー・感想・評価

ラブリーボーン(2009年製作の映画)
3.0
本作は一貫して14歳で殺された主人公のスージー・サーモンの主観的な視点・語りで進行していく。
それが本作の長所であり、短所でもある。

まず、スージーが殺されてから彼女が行く世界のビジュアルが素晴らしい。
一面に広がる原色の美しさよ。
赤青黄緑といった色彩が飾る幻想的な世界の中で、シアーシャ・ローナンが光り輝く。
その吸い込まれそうな瞳の輝きと世界観が絶妙にマッチし、死んでいながら、独特の生命感を放っている。
海から次々と押し寄せるビンが岩に当たって砕けて、船が優雅に波打ち際に打ち上げられるシーンは実に美しい。
このように死後の世界を、哲学的・宗教的ではなく、芸術的に描いたことで小難しさは排除されている。

また、現実世界のサスペンスも超一級品である。
スタンリー・トゥッチの圧倒的な存在感。
執拗なまでに彼が物陰でこちら側を覗く姿が挿入されることで、全編を通して彼の恐怖が消え去ることはない。
脂ぎった髪に、汗だくの額、そして怪しげな目。
そんな彼をクローズ・アップで映すことで、生理的に受け付けないような不気味さ、嫌悪感を存分に示している。
それに加えて、細かく繋ぐ編集の巧みさ、小さな物音を誇張する音響、モノに執拗なまで寄っていくカメラワークなど、超一流の技術によってスリルを倍増させている(エレキギターを使用したような効果音が斬新で面白い)。

物語の帰着点も興味深い。
自分がいなくなった世の中を受け入れて天国へ向かうという、単なるハッピーエンドでは終わらない、ビターな味わいがそこにはある。
殺人犯のあっけない最期もまさに神の裁きであり、勧善懲悪を重んじるアメリカ的な終焉であった。

だが、殺人犯と主人公以外の家族のキャラクターの描き込みが浅いため、サスペンス場面以外のドラマ性が希薄になっている感は否めない。
主人公が家族の中でどのような存在・関係だったのか説明不足のために、家族が彼女の喪失を受け入れ、再生していくまでのプロセスが薄いのだ。
これは主人公の主観的な視点から描いたことによる弊害と言ってもよい。
残された家族の視点から描かれていれば、全く違った出来になっていたかもしれない。
りっく

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