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ハート・ロッカーのpopcornのネタバレレビュー・内容・結末

ハート・ロッカー(2008年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

デトロイトを観たので同一監督作品を鑑賞。

デトロイトほどではないですが、とても緊迫感のある作品でした。

鑑賞後、有名な?町山vs宇多丸論争を知ったので概要を調べてみましたが、個人的にはいずれの見解にも完全には同意しかねるといった感じです。

まず、町山さんは「ラストの主人公の選択は、主人公がこの戦争及び自身についてのこれまでの過ちを正面から見据えた上で、なお自分に"できる"唯一の善行(人を殺さない、そして人を救うという反戦行為)として、戦場に戻ることを選び取ったのだ」といった論調だったと思います。
しかし、主人公が帰国して子どもに話しているセリフからすると、主人公は、自分に唯一"できる"ことではなく、自分が唯一"したい"こととして、戦場での爆弾処理を選択したのだと読み取れます。そして、その選択は、主人公が正常な精神状態の下で自ら選び取ったというよりも、永きに渡る戦場での爆弾処理の危うい魅力に完全に搦め捕られてしまった結果として、「選ばされた」ないし「選ばざるを得なかった」ものというべきではないでしょうか。
また、爆弾処理班として戻るとはいっても、(NPO等の活動としてではなく)あくまで米軍兵士として戻る以上、アメリカがあの(誤った)戦争を遂行し続けるのを助けることになるのは間違いないのです。爆弾処理の過程で一部の善良な市民を救うことになるとしても、それはあくまで戦争遂行の副次的な効果にすぎないのであって、主人公が戦場に戻ることを善行としてストレートに正当化することはできないはずです。

他方で、宇多丸さんは「ラストは主人公がやっぱり戦争ジャンキーだったというだけで、勇ましく戦場に戻る姿は、あの戦争を肯定するようにも捉えられかねない(明確に反戦と読み取れる演出にすべきだった)」といった論調だったと思います。
しかし、上記のとおり、主人公は戦場であの戦争及び自分の過ちを認識したにも関わらず、それでもなお戦場に戻ることを、為政者の始めた大義なきあの戦争それ自体から「選ばされた」というべきなのです。これは、純粋に(正常な精神状態で)心から好きなものを自ら選んだのとは、訳が違います(勿論元はと言えば兵士になることを選んだのは主人公ですから、主人公が完全なる被害者という訳ではありませんが)。
ラストシーンでの「任務終了まであと365日」というテロップは、終わりのない泥沼としてのあの戦争へと否応無しに引き摺り戻される主人公(を始めとする数多の兵士達)の悲劇を克明に想起させるものであって、正に反戦のメッセージを打ち出した演出だと言えるのではないでしょうか。

ゼロ・ダーク・サーティも観てみようと思います。
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