konoesakuta

ライフ・イズ・ビューティフルのkonoesakutaのレビュー・感想・評価

4.8
たくさんの批判がある映画。600万人のユダヤの方々が殺されたホロコーストをコメディにしていいのかとか。史実と異なり時代考証がめちゃくちゃだとか。生存者がどう思うのだろうとか。お前たち親子だけが収監されているわけじゃないとか。あの時代の収容所をお涙頂戴の舞台にしてはいけないとか。偽善だとか。ベニーニのノリが軽薄だとか。

この批判よく考えたらめちゃ的外れだ、と強く反論したいのだが今の自分の実力ではなかなか難しい。できるだけの抵抗をここから試みたい。

みんなこの映画を観てびっくりしなかったのか。私はびっくりした。こんな映画は今までこの世になかった。「ホロコーストをコメディタッチにして何かを描いた」のだ。超タブーへのチャレンジ。下手すれば上映禁止。(そんな映画あったのかな。今でこそたくさん出てきたけど当時はまだなかったと思う。ヒトラーが悪の映画はあったけど。)賛否両論で全く構わないしとことん否定する方がいていい。この映画をオスカーに導いた人たちをケチョンケチョンにしてもいい。だけどすべてダメなわけではなくてと訴えたい。涙した人も万単位でいるので。いや数十万単位かな、もっと多いかも。とりあえず私は感動したし大いに涙した方に属した。父親の無償の愛に無限を感じたし息子の純真にかつてどこかにあったであろう自分のいつかを重ねたし戦争にがっかりした。フィクションを最大限に利用してコメディを最大限に利用して観客の心を揺さぶったんだと思う。

もし誰かが嘘をついて、そのおかげで一生を幸せに過ごせる信仰を手に入れることができたのであれば、それはとてもミニマムなファンタジーではないか。本作が戦争物語ではなくグイドがジョズエにファンタジーを与えた物語だと思えばこの映画に怒りを覚える人たちも多少許してくれるのではないか。この背景にファンタジーを少量配置することは不謹慎か。主題は間違いなく普遍的な愛。確かに背景はあの頃の欧州の「タブー」ではあるが、それをあの手この手の正論で潰したとしても作品の魅力はやはりあると思ってしまう。

いけないことなのだろうか。

失礼ながら余談。

1999年第71回アカデミー外国語映画賞受賞時、顔面を笑顔で爆発させ前列の禿げ頭を左腕でわしづかみにして椅子の上に立ち上がりぴょんぴょん飛び上がりながら壇上に上がりソフィアローレンと激しくハグ後深々とお辞儀をしてワケのわからないイタリア訛りの英語らしき言葉でまくしたてるオスカー獲得シーンはベニーニのベストアクトかもしれない。

これだけで一回多く泣ける。