ボブおじさん

あの夏、いちばん静かな海。のボブおじさんのレビュー・感想・評価

4.3
前2作で見せたバイオレンス描写を完全に封印し、北野武監督が3作目で描いたのは海辺の街を舞台にしたサーフィンに熱中する聾唖者の青年とその恋人の姿を静謐に映すラブストーリー。聾唖のカップルは当然のことに台詞は無く、サイレント映画に近い。

台詞が無い代わりに本作で重要な役割を果たしているのが、久石譲が手がけた音楽で、この上質な音楽が人物の感情の揺れ動きを台詞に代わり伝えてくれる。

「コーダ あいのうた」や「奇跡の人」など聾唖者を描いた映画は他にもあるが、思い返してみると彼らは意外なことに饒舌だ。もちろん言葉を話す訳では無いのだが、手話やボディーランゲージを駆使して自分の意思をハッキリと相手に伝える人物が多かった。

だが、この映画の2人は実に物静かだ。物理的に言葉を発しないのは当然だが、手話や身振りで自分の意思を主張することがほとんどない。それは2人だけになった時でも変わらない。

思えば健常者の中にもお喋りな人もいれば無口な人もいる。自分の意思を主張する者もいれば内に秘める者もいる。既成概念やステレオタイプを嫌う北野監督らしい人物設定だと思う。

他人との接点を最小限にする文字通り無口な2人の言葉に代わって映し出されるのが、北野武の美しい映像と久石譲の心情を表す音楽だ。

監督北野は、1作目から監督→監督・脚本→監督・脚本・編集と自分の役割を増やすに従い自分が表現したいことを余すことなく表現できるようになっていった。

その一方で演者としては1作目から主役→脇役→出演せず、とビートたけしが画面から徐々に消えていったのが面白い。

シナリオは北野監督の完全オリジナル。耳の聞こえない2人がサーフボードを持って海へ向かい、その歩く姿を水平に移動してとらえたショットは映画を観終わった後まで印象に残る。

あのサーフボードが〝無口な〟2人の気持ちを繋いでいる。彼が波に乗り、彼女が浜辺で眺めている。それが彼らにとっての至福の時間であり、最高のデートなのだ。

恋愛映画で2人だけの世界に浸る場面はいくらでも描かれてきたが、ここまで雑音のない世界を見たことはない。まさに「あの夏、いちばん静かな海。」なのである。

北野武監督は女を描くのが下手だと言われる。また普段あれだけ言葉を駆使する彼が、こと恋愛に対しては照れや恥ずかしさからなのか多くを語ることはなかった。

この映画が監督の恋愛観を反映しているものなのかはわからない。だが、もしかしたらこの映画は北野武監督の最初で最後の純愛映画なのかもしれない。

公開時に劇場で鑑賞した映画をDVDにて再視聴。


〈余談ですが〉
以前横須賀に住んでいたことがあり、本作に映し出されるロケ地を懐かしく思い出す。どぶ板通り、京急バス、大滝町バス停、国道16号、久里浜港発のフェリー、防波堤越しに見える猿島。

ああ、あの頃あそこでこの映画は撮られたんだ。そんな感慨も湧き出てくる。