タコのシーンが話題になった本作は当時TV映画で見ている。
田中裕子と樋口可南子の脱ぎっぷりに喜び、北斎、馬琴が高齢化してからがやたら長く特殊メイクも気持ち悪いなという印象だったが、今回見返してみて高齢化してからこそが肝であることをあらためて認識した。
くたばり損ないである。くたばり損ないにはなりたくないPLAN75でちょうど良いと思っているけど壮絶な人生、こんなカッコいいくたばり損ないは無い。勿論自分には情けないくたばり損ないしか想像できないけれど。
これはホドロフスキーのDUNEにも通じる物であり、当時(60代後半)撮った新藤兼人監督のその後にも通ずる。さらには売れない絵描きであった個人的身内の死に際の言葉を思い出すではないか。
顔だけ老けメイクの田中裕子にさえ意味を感じ取れた。
富嶽三十六景を描くまでの前段はやはり樋口可南子と田中裕子だ。
鬼灯クチュクチュの樋口可南子の妖艶さに谷崎的な面も見えるし。北斎養父の鏡見師のフランキー堺が翻弄される老いの性。
北斎の娘であるお栄・田中裕子の可愛さ。北斎の一番身近にいる理解者でありファン。その健気さ。大道芸で口上までやってのける。堅物馬琴への秘めた片想いも好ましい設定。
勇壮な劇伴で夕立ちの中、駆け出す北斎の滾るエネルギー。