アントニア・バード監督作。
同性愛者としての自己と聖職者としての自己の狭間で苦悩するカトリックの司祭・グレッグの姿を描いたドラマ。
教会・信者・聖職者が抱える数々の欺瞞、苦悩を浮き彫りにした隠れた傑作。決して大袈裟ではなく、“魂を揺さぶられる映画”とはまさにこのこと。
主人公は貧しい労働者が暮らす教区の司祭に任命されたグレッグ(ライナス・ローチ)。名脇役トム・ウィルキンソン扮する主任司祭の堕落した性生活ぶりを目撃して静かに怒りを露わにする。グレッグにとって聖職者は誰より“綺麗であるべき存在”。しかし、教区が抱える数々の現実に直面する中で、自分自身の性的欲望を次第に抑えきれなくなってくる。カトリックが同性愛者に対して厳しいことは有名で、グレッグはカトリックの司祭でありながらゲイである自己に苦悩する。ゲイたちが夜な夜な集うバーへ繰り出し、ロバート・カーライル扮する若い男・グレアムと関係を結ぶ。グレアムの「君はカトリックかい?」という言葉を聞き、黙って部屋を出て行くグレッグの姿が印象的。カトリックどころではない。カトリックの立派な司祭なのだ。
同じ人間でありながら性的マイノリティに厳しい姿勢を取るカトリック教会の欺瞞。問題を起こしたグレッグに対して「私の教区から出て行け」と言い放つ司教。その言葉は、グレッグがカトリックの教えに反したからではなく、自身の権威ある司教としての立場を保持するための自分本位の感情的冷たさから生まれている。
カトリックと同性愛者の関係だけでなく、近親相姦という許されない行為と聖職者の守秘義務の関係についても鋭く描く。女子高生・リサから「父親に性的虐待を受けている」という告解を聞くグレッグ。リサを救うためにはすべての事実を口外する必要があるが、聖職者は告解の内容を他者に漏らすことは倫理上許されない。助けたいのに、何もできないもどかしさ。聖職者の守秘義務の宗規に背かないかたちで、自分なりの方法でリサを救い出そうと試みるが思うように上手くいかない。「信者を精神的に導く」ことが聖職者の役目だと自ら言っておきながら、融通の利かない宗規が足枷となり、悩める一人の信者すら救うことができない無力。事情を知らない信者たちは一方的にグレッグを批判するだけ。カトリック教会だけでなく、信者もまた無意識の内に教会の欺瞞に同調しているのだ。
そして、ラストシーンに自然と涙が溢れる。大多数の「赦さない者」と「赦す者」が教会内・同じ画面に見事対比的に映し出される。宗教的な束縛とそれが原因で生じる司祭の苦悩・苦痛を焦点にそれまで描いてきた中で、このラストシーンだけは宗教の枠組みを越えたところで、「人と人」の純粋な人間愛とその尊さが示されている。きわめて人間的。だから、涙がとまらない。