めちゃくちゃひさしぶりにディズニーのアニメを見た! 好きそうって言われたので見てみました! うん! まぁまぁ好きやったと言えるかな! 別段どうってことないストーリーなんやけど、なんかいろいろ良かったな。ターザンって、存在としては幼少期から知ってるけど、お話として見たのは初めてかも。こんな話なんやーと思えたのがまずよかった。ストーリーは、ターザンの両親が乗っていた船が、メラメラ炎を上げて沈没するところから始まる。救命ボートで何とかジャングルにたどり着いた両親は木の上に住処を作って、乳児のターザンと暮らしてたところ、突然ヒョウに襲いかかられる。その後そこにやって来るのが、同じヒョウに子どもを殺されてしまった母ゴリラ。彼女は、そこにターザンの姿を発見し、種の差に戸惑いを覚えながらも、引き取ってやり、自分の群れにも受け入れてもらって、育ててやることにする。で、ターザンという名をつけるのが、このゴリラママなんですね。しかし、たったひとり、群れのリーダーの雄ゴリラはそのことに反対だった。ターザンは、他の子ゴリラや子ゾウといっしょにすくすく育っていき、少しずつ自分が他のゴリラとは違うことを意識し始める。これが本作のひとつの大きなテーマとなっていきます。愛情や友情は、種を超えるのか…??? ただ、このテーマは、本作の描写するリアリティよりも、意識的にもう少し(てかかなり?)現実社会の現状に解釈を引き寄せてやらないと、アホらしいテーマにもなり得てしまう。人間と自然との共生という風に解釈することもできなくはないんやけど、もののけ姫よりもぜんぜんファンタジー要素が高いため、大人はそこら辺をわきまえて解釈を加えなければなりますまい。ただ、逆に、もののけ姫よりもぜんぜん子どもが楽しめる内容にはなってると思う。ゴリラの集団の中で、はじめて自分だけまったく違う存在だと感じる、母ゴリラと手を合わせるシーンはとても印象的。そして、その後ターザンは、ゴリラの一員としてみんなに認められたい、という思いを抱えて成長しながら、人間にしかできない裏技を身につけていく。道具を使ったり、道具を作ったり。で、普通の人間では到底不可能な身体能力を身につけていく。ここは完全にファンタジーの世界。猛スピードでびゅんびゅんジャングルの中を滑走していくヴィジュアルの爽快感は最高! そして、子ターザンは、だんだんと、我々のイメージの中にある、筋肉ムキムキで、お股にぼろきれをぶら下げただけの、ロン毛だが体毛のないイケメンターザンが完成していくのです。丁寧にも乳首はちゃんと描かれていました。大きめです。ここで僕はふと思うのですが、なぜ彼はお股にぼろ布をまとい始めたのだろうか、ということ。ゴリラとして育っていたのなら、そんなもの必要とするような意識は芽生えないはずだが。いや、しかし、このゴリラたちには人間と同じ認知力があることになってるから、やっぱ年頃になって突然ナニが怒張したりすると恥ずかしいものなのかな、と思いながら見ていました。で、ターザンがとうとうあの忌まわしきヒョウと因縁の対決をしたりなどを経て出会うのが、イギリスから当地に到着した3人の人物:生物学の教授とその娘ジェーン、そして、彼らの案内人クレイトンです。ターザンは自分と姿形の似た生物との出会いに心底衝撃を受ける、と同時に、非常に強い興味を抱く。ターザンは中でも関係の深くなるジェーンと交流を結び、言語も習得して、人間化が進んでいくのだが……ここでまたしても、僕の頭は大人の事情が大変気になる。まず、ジェーンは突然ターザンにものすごい至近距離まで詰められて、じろじろ観察されるのであるが、ターザンの体臭がこのころまでには鼻がもげるほど悪化していないのか、ということ、そして、のちにさらにわーお❤なシーンがあるのだが、そこでは、ターザンの口臭がとんでもないことになっていないのだろうか、とか、そもそも初めて異性に会って、激しく興味を抱いているということは、生物学的にナニがむくり反応しないものであろうか、とか。いや、キ◯しても、ナニが反応しないということは、ターザンはむしろアセクシュアル、またはホモセクシュアルなのかもしれない、とかいろんなノイズと妄想が脳内でワンワン鳴り響いて大変でした。しかしその間もお話は流れていき、彼らの案内人クレイトンがとんでもなく悪いやつで、なんと、ゴリラの住処を見つけてひっ捕まえ、イギリスに連れて帰ろうと目論んでいるのです。そして、そいつが、ジェーンを餌にターザンをたぶらかし、ゴリラの住処を聞き出そうとするのだが……というお話で、終盤は前半とは打って変わってなかなかシリアスでヘヴィーな内容になっていきます。序盤でもそうでしたが、意外とあっけなくたいへん残酷なことが起こるので、ちょっとびっくり。ディズニーってこんなに容赦なかったでしたっけ? 僕はここ最近、資本主義が人間の欲望を必要以上に肥大化させ、金もうけのために手段を選ばなくさせてしまうという現象を、あまりにも様々なフィールドで多く目撃しているため、ここでもか、とうんざりしてしまった。資本主義国家に暮らしている我々のなかには、社会主義国家を恐れ、批判するマインドを強く持っている人もいたりするが、そこにどっぷりつかってるから気づかないだけで、資本主義国家も十分やばいことを知らないといけないと思いますね。社会主義国家のヤバさがコントラストによってより明白に見えてるからそっちだけがやばいように見えるんでしょうけどね。僕個人としては、国家の枠組みが資本主義で作られていようが、社会主義で作られていようが、別に大した差はなくて、結局それを運営し、そのなかに暮らしてる人間がどのようなモードのマインドを持っているか、ここにしかポイントはないと思うんですよね。と、ターザンの性事情に引き続き、本編と関係のない思索にいざなわれてしまいました。本作を見る子どもたちは、大人になったとき、自分や自分の家族の生存のために、自分の環境世界(そこには他者もとうぜん含まれる)や自分自身をだましたり、傷つけたり、必要以上に搾取するようなことをしない、そういう大人になってほしいと、心の底から思います。ターザンのように、純真で、無垢で、いやらしさもいやしさもない大人になってほしい。そう願ってやみません。で、本編に戻りますが、最後は、結末そこまでドラスティックな方向性にいってしまうんや!とかなり意外だった! ふつーは、この薄汚れた現実世界では、その選択は絶対無理でしょう笑 まぁでもお話の世界のエンディングとしてはとてもよかったかな! ちなみに、アニメーションはCGCGし過ぎていないぬるぬるした動きがとても鮮やかで良かったのと、あと、メインのテーマソング、めちゃくちゃ良かった! ここ最近のヘビロテとなっております、フィルコリンズのYou’ll Be in My Heartという曲、キャッチーですごくいい曲なので、ぜひともYoutubeで聞いてみてください!